第56回東京ダービー
2010.6.4
こんにちは。東京ダービーの実況を担当した大川充夫です。
みなさまダービーウィークはご堪能いただけたでしょうか?今年も各地の頂上決戦が全国的な注目のもとに6日連続でおこなわれました。
2日・水曜日にTCK大井競馬でおこなわれた、ダービーウィーク2010第56回東京ダービー、優勝馬はマカニビスティーでした。1冠目の羽田盃で2着(ハナ差)に敗れても陰ることなく集めた圧倒的な支持にこたえました。
第56回東京ダービー、レースは、東京湾カップで復活Vをはたしたマグニフィカの逃げ、羽田盃勝ち馬のシーズザゴールドは好位から、マカニビスティーは後方グループ(うしろから5頭目)からの競馬。隊列全体は縦長になりました。
マカニビスティーは4コーナーでもまだ後方でしたが、そこからの伸び脚は見事のひと言。素晴らしい差し切りを演じて見せてくれました。
わたくしがレースを見ながら何を思いつつ実況していたかというと、
(1コーナー)あれあれ、マカニビスティー、えらく後ろにいるなあ
↓
(向正面)あれあれ、マカニビスティー、まだ後ろにいるなあ
↓
(3コーナー)あれあれ、マカニビスティー、動いていかないなあ
↓
(4コーナー)後続、ちっとも来ないなあ
↓
(直線入り口)逃げ馬=マグニフィカ、残るかもなあ
↓
(直線なかば)あ、マカニビスティー来た、こりゃ差し切るなあ
以上です(非常にカンタンに言えば、ですよ。もちろんほかのことも考えてます。いやホントに)。
マカニビスティーは、ここまで大敗したのは芝生のレース2回のみ。2月におこなわれたJRAヒヤシンスSでは5着に敗れているものの、勝ち馬(バーディバーディ)との差は0秒3。ダート路線では(JRA勢もふくめて)トップレベルの実力保持者と言えます。
東京ダービーの勝ちっぷりは、まさにその実力を見せつけたものでした。
JRA、全国から、実力馬が顔をそろえてさらにハイレベルな戦いになるジャパンダートダービー=JDDは、7月14日、大井競馬場でおこなわれます。たくさんのご来場とご参加をお待ちしています。
考える?考えない?
2010.5.28
こんにちは。東京ダービー実況担当の大川充夫です。
ダービーウイーク、せまってきました。近づいてきました。緊張します。
九州ダービーの実況を担当される中島アナウンサーは、
「あらかじめ色々な状況を想定して、それらの場面に相応しい言葉を思い浮かべてから、出来るだけ多くのものを頭の中に蓄えておきます」
と書いていらっしゃいます(勝手に引用しました。すみません)。
これ、わたしはあまりしないんです。
いや、することもある。ありますけど、だいたい成功しません。
想定が甘いのか、想像力が足りないのか、わたしの場合は、だいたいにおいて準備しておいた言葉は無駄になります。要するに、想定していたような状況にならないことが、あまりにも多すぎる。
あと、せっかく準備しておいても、忘れる(笑)。
そんなわけで、ほとんどの場合、わたしは「予定原稿ナシ」という状態で仕事をしております(ええと、準備するのをなまけている、というわけではないですよ。いや、ホントに)。
「あらかじめ色々な状況を想定して、それらの場面に相応しい言葉を思い浮かべ」ることをわたしが(あまり)しないのには、もうひとつ理由があります。
それは、
あれこれ考えて想像していると、それだけで緊張しちゃうから
です。
自分の日記だかどこだかにも書きましたが、わたくしどうやら、野球にたとえると、
「1ヶ月後の開幕戦、先発はお前だから頼んだぞ」
と言われるより
「あ、今日の試合、先発お前だからテキトーにやっといて」
と言われるほうが嬉しいタイプのようなのです。
もちろん仕事ですから、直前に担当を告げられようが早々と担当が決定していようが、「テキトーに」するってことはありません(本当。わたしなりに、ですが)。どっちにしても真剣に仕事をさせていただくわけですが、アレコレ考え込む時間が短いほうが気がラクである、ということです。
…これ、どうも近年になって余計にそういう傾向が強くなったように思います。トシとったってことなのかねえ。
若いころ(例えば20代のころ)は、早くから重賞レースの実況を担当することがわかっていたほうが嬉しかったような気がします。アレコレ考えるのが楽しかったし、そんなことで緊張したりしませんでした。たぶん。
今年のダービーについては、実況担当が3月末には決定しました。こうしてそれにまつわる文章もいくらか書かせていただくことになりました。
おかげさまで、ずいぶん早くからアレコレ考えて緊張したりしましたが、同時に、わたしとしてはいつになく、ダービーというレースについてしっかりと考えることもできました。ありがたいことです。
ダービーウイークはこの日曜日からです。
わたしにしては時間をかけて、いろいろと考えたり感じたりして、ダービーをむかえることになりました。きっとアレコレ考えたことは本番の実況にも生きてくることでしょう。
…と言いきれればカッコいいんでしょうけど、たぶんそんなことはありません(恥)。せっかく考えたことも、どうせその時になったら忘れちゃうんですよ。
ああそうか。つまり、「予定原稿ナシ」状態で本番にのぞむことが多いことの理由は、やっぱり「どうせ忘れるから」なんですねえ。
とにかく。
いよいよ、ダービーウイークがはじまります。ぜひご来場・ご参加ください。競馬場でお待ちしております。
「似た話」
2010.5.21
こんにちは。東京ダービー(たぶん)実況担当の大川充夫です。
わたくし競馬のレース実況というものをなりわいにしておりますが、この世界に入ったのは97年。北関東地区においてでした。
この仕事を「97年にはじめた」と言えるのは、たった今調べたからです。が、せっかく調べても、いつもすぐこの数字を忘れてしまうのです。ですから、「実況して何年めですか?」という問いに、毎度毎度、即答できません。いい加減に覚えろよ、って話なんですが。
仕方がないので、質問者が競馬にかなりくわしい方の場合には、以下のようにお答えすることにしています。
「
イヴニングスキーのデビューと同じ年からやってます」
イヴニングスキーという名前でピンとこない方のために言い添えますと、イヴニングスキーという馬は(もちろん馬の名前ですよ)、あの
ベラミロードの兄で、98年の北関東ダービー優勝馬です。
ベラミロード…って何?という方には、もう説明しようがないのですが、ベラミロードはイヴニングスキーの1年妹で、この馬も99年の北関東ダービーを勝っています(っつか、その年の北関東三冠馬だ。ほかの戦績についてはご自分で調査なさってください。偉大な馬でした)。
イヴニングスキーとベラミロード、いずれも北関東ダービーを制覇したときに手綱をとったのは、内田利雄騎手でした。つまり、内田利雄騎手は98・99年と、北関東ダービーを連覇しているわけです。
北関東から競馬がなくなって6年目となりますが、内田利雄騎手は現役です。それも地方ではほかに例のない、(実質)フリー騎手として、各地を転戦しています。これまでの通算勝ち星は3266勝(5月20日現在)。
内田利雄騎手は、うつのみや・足利のリーディングジョッキーを何年も続けていた方です。わたしが栃木でレース実況をはじめたときにはすでに不動のリーディングでしたし、重賞競走も数えきれないほど勝っていました。
では、その内田騎手が、このイヴニングスキー・ベラミロードでの連覇をふくめて何度、ダービーを制覇しているかというと…。
じつは、この2回だけ、なのです。
当時すでに通算2000勝を突破し
このひとが乗ればどんな馬でも人気になり
毎開催のように重賞勝ちをおさめ
表彰台から100万ドル(だったか1000万ドルだったか)の流し目をファンにおくって歓声をあびていた内田利雄騎手。
そのMr.ピンク内田利雄が、ダービージョッキーとなるのには20年を要したのです。
あの内田騎手でもダービーを勝ったことがなかった、という事実は、当時まだ北関東競馬の様子がよくわかっていなかった新人時代のわたくしにとって衝撃的でした。
ダービーとはそれほどまでに勝つのが難しいレースなのか。
そんなふうに思ったからこそ、内田騎手がその翌年にまたダービー勝って連覇を成し遂げてしまった、というのもかなり衝撃的でした。やっぱりスゴいな、このひとは。勝ったと思ったら連覇しちゃうんだもんな。他にこんなひと、いない…か?
待てよ。
トップジョッキーで、わんさと重賞も勝っていて、そのひとが乗ればどんな馬でも人気になる、という騎手で、長いことダービー勝てなくて、やっと勝ったと思ったら翌年も勝って連覇を成し遂げた、っていう騎手の話、もうひとつ知ってるような気が…。
ええと、よく似た話ってのはあるモノなんですねえ(汗)。
それとは別に。
08年の東京ダービー、勝ったのはドリームスカイでした。戸崎圭太騎手は前年に続いてのダービー連覇となりました。
08年の日本ダービー、勝ったのはディープスカイでした。四位洋文騎手は前年に続いてのダービー連覇となりました。
Dスカイと騎手連覇か…。似た話ってのはあるモノなのね、と、このときも思ったものです。
その話、そんなに似てるか?とか、一緒にしてどうすんだ、とか言われそうではありますが、ダービーっていうとこういうことを思い出す、という話です。
「過去を振り返ってみる」
2010.5.13
東京ダービー実況担当(予定)の大川充夫です。
南関東地区では、東京ダービーへのトライアルレースやステップレースがほぼ終了しました。
…ええと、ここで「ほぼ」と留保をつけているのは、一般的にステップレースとされていないレースから東京ダービーにむかう馬がいないとは限らないから、なんですが。
それはともかく。
数々の前哨戦を終えて、あとは本番を待つばかり、というところで一度、過去を振り返ってみようと思います。
東京ダービーの過去5年の勝ち馬は以下のとおり。
05年 第51回 シーチャリオット
06年 第52回 ビービートルネード
07年 第53回 アンパサンド
08年 第54回 ドリームスカイ
09年 第55回 サイレントスタメン
05年のシーチャリオットは、早くからダーレージャパン所有の大物として注目をあつめ、三冠戦線でもつねに人気の中心でした。そしてその人気にこたえて、みごとに羽田盃・東京ダービーの2冠を獲得しています。人気も結果も、いわば
「中心不動のダービー」だったわけです。
06年は一転して
「混戦ダービー」。抜けた実力馬が見当たらず、負けなしの4連勝で東京湾カップを制したシャイニールックが、いわゆる「遅れてきた大物」的に人気をあつめました。しかし勝ったのは、重賞路線組ではなく、特別戦を2連勝してダービーに間に合ったビービートルネード。伏兵が混戦に断!というレースでした。
07年は
「3強」の年でした。京浜盃・羽田盃を連勝したトップサバトン、その2つのレースでともに2着のアンパサンド、そして全日本2歳優駿勝ち馬で羽田盃は3着のフリオーソ。ダービーはアンパサンド、JDDはフリオーソが勝ち、終わってみれば3強が三冠をキレイに1つずつ分けあいました。
08年、中心視されたのは、北海道2歳優駿勝ちで全日本2歳優駿2着のディラクエでした。京浜盃を圧勝したディラクエは、羽田盃で2着と敗れましたがダービーでも人気をおとすことなく、今度こそその強さを見せてくれるハズ…と期待をあつめました。が、勝ったのは
「同厩舎の人気薄」ドリームスカイ。戸崎圭太騎手は東京ダービー連覇を達成しました。
そして昨年。牝馬2冠のネフェルメモリーが関東オークスではなく、あえて東京ダービーに出走。同厩(船橋・川島正行)の羽田盃勝ち馬・ナイキハイグレードとも激突が話題と注目をあつめました。が、勝ったのは
またしても伏兵。ほとんどシンガリからの後方一気、サイレントスタメンの末脚が炸裂しました。
さて、今年の東京ダービー。過去5年のいったいどの年に状況が似ているのか、というと…。
いやいや。別にどれかに似ていなくちゃイカンということはありませんでした。
今年はことし、過去はカコ(馬名ではなく)。
実績馬か、伏兵か。格か、調子か。
ダービーウイークまで残すところ丸2週間。本番はすぐソコです。
第24回東京湾カップ
2010.5.7
こんにちは。東京ダービー実況担当(予定)の大川充夫です。この季節になって花粉症の症状がひどくなってきました(涙)。
5月4日(火曜日)、船橋競馬場では
第24回東京湾カップがおこなわれました。さきにご紹介したとおり、この東京湾カップも東京ダービーへの重要なステップレースです。1着馬には東京ダービーへの優先出走権があたえられます。…もっとも、ここを勝ってしまえば収得賞金で出走できてしまうことでしょうが。
東京ダービーをまる1ヶ月後にひかえておこなわれた東京湾カップ、勝ったのは
マグニフィカでした。
このマグニフィカという馬、昨年の6月にデビューすると破竹の4連勝。南関東地区の2歳戦では最初の大きな関門といえる、
準重賞・ゴールドジュニアーを制覇しています。
ご覧になるファンのみなさまや、われわれ関係者が、この世代のスターとして最初に認識したのがこのマグニフィカだったのです。もちろん他陣営もこの馬を強力なライバルとして意識しました。昨年秋、早い段階では、
「マグニフィカに勝ってみせる!」
というようなコメントが他陣営から聞かれたりしたものです。それだけ強力な相手としてとらえられていたということです。
そのマグニフィカは、11月4日、南関東地区では最初におこなわれる
2歳重賞・ハイセイコー記念で初重賞タイトルをねらいます。4戦負けなしでの出走、もちろん圧倒的な人気。
…が、ここでおそらく陣営としては「まさかの」敗北(3着。勝ったのはショウリュウ。2着ドラゴンキラリ)。
つづいて12月16日、川崎の
全日本2歳優駿に挑戦しましたが、11着と大敗してしまいます(勝ったのは…って書く必要ありますか?ラブミーチャンです。強かったなあ。まあいろいろあって、ラブミーチャンの名前がこのダービーウイーク関係の文章に出てこないというのは、残念だと言える…かな?よくわかりませんが)。
世代で最初に主役と目されたマグニフィカは、このあとレースから遠ざかります。
名前を聞かないまま、目にしないまま。
例年どおり、ホッカイドウ競馬からの移籍組が活躍を見せるようになり。
JRAからも実績のある馬がやってきて。
三冠レースも第1弾が終了し。
主役はオレだ!と言わんばかりの役者で舞台はごった返しています。
そんな中でおこなわれた東京湾カップに、マグニフィカは登場したわけです。
大敗して休養。休みあけ。
評価は決して高くありません。
羽田盃で好走を見せた
ブンブイチドウが人気をあつめ、3月に川崎でおこなわれた
クラウンカップでも人気をあつめた(2着)
テラザクラウドがこれにつぐ人気。
マグニフィカは結局5番人気(単勝15倍以上だった。オイシイ思いをされた方も多くいらっしゃることでしょう・羨)。
レースはナンテカの逃げ。マグニフィカは好スタートからすぐ2番手につけました。
人気のブンブイチドウやテラザクラウドは中団からの競馬。いくらか互いを牽制しあった感がないでもありません。
マグニフィカは残り1000メートルを切ったあたりでナンテカをかわして先頭にたちました。ナンテカも追いすがり、2頭が3番手以下を大きく離していく展開に。
ナンテカは4コーナー手前で苦しくなり後退。3番手以下は…なかなか差をつめてこない、いや、こられないのか。
結局早めに後続につけた差をさらにひろげ、悠々と、堂々と、マグニフィカが押し切りました。2着のブンブイチドウにつけた差は
5馬身。圧勝でした。
2〜6着は、ハナ・クビ・クビ・アタマ差という激戦で、その混戦ぶりが、はるか先にゴールを駆けぬけたマグニフィカの強さを一層きわだたせることになりました。
世代最初のスターが復帰初戦に見せた、強烈なパフォーマンス。
混戦だ、混戦だ、と言われつづけてきた南関東三冠戦線ですが、東京湾カップを見て考えを変えたという方もあるのではないでしょうか。
そこまでじゃないよ、という方でも、主役グループ(という言い方があるかどうか知らない)の1頭にこの馬をくわえることには反対しないハズ。
6月2日の東京ダービー。
本番へむけて、舞台中央に名役者がひとり、くわわりました。
新設トライアル
2010.4.28
こんにちは。東京ダービー実況担当(予定)の大川充夫です。
各地でダービーへのステップレースが着々と実施されていることと思いますが、南関東地区でもまたひとつ、東京ダービーへのステップレースがおこなわれました。
23日(金曜日)におこなわれたそのレースの名称は、ズバリ
東京ダービートライアル
です。
う〜ん、ストレート。
先日、わたくしこのレースの名称を「プラチナチケット賞」と書きましたが、これは「確定番組」が出る前の段階の仮称。
正式名称は「東京ダービートライアル」となりました。
先日も書いたとおり、これは今年
新設されたトライアルレースです。この競走の1着および2着の馬に、東京ダービーへの優先出走権があたえられます(なお、これに2日ほど先立っておこなわれた羽田盃では1着〜5着の馬に東京ダービーへの優先出走権があたえられています)。
この「東京ダービートライアル」は、重賞競走ではありません。いわゆる「特別戦」です。出走できる馬も、その条件(収得賞金)が低めに設定されています。
特別戦のトライアルを新設した理由は何なのか。
…まあ、ここを読んでくださっている方々にはおわかりのことでしょうが、きちんと主催者にそのへんのことを聞いてみました。
ええと、主催者、というか、開催執務委員長さんにお話をうかがいました。偉い方にあらたまってお話をうかがうのは緊張します(汗)。という話はともかく。
大井競馬の
塚田修開催執務委員長さんによると、
「近ごろデビューが遅い馬でもけっこう強い馬がいます。そういう馬は獲得賞金が積み上がらなくて(ダービーに出られない)。なんとかならないかなあ、っていう話が(このレース設置の)最初だったんです」
「ダービーってのは、実力があって、なおかつ『旬な馬』が出てほしい。そういう意味で言うと、羽田盃のようなステップ(レース)以外に、こういうレースから賞金積んでなくても今元気な馬が出られれば、東京ダービーの魅力をより高めるっていうか、そんな発想ですよね」
ということでした。
お話をうかがうと、実務的・技術的にむずかしいことはいくつもあったそうですが、そうしたことをクリアして現実にこうしたレースを設置することができた、その熱意と実行力に拍手をおくりたいと思います。
関係者にもファンにも、この新設トライアルを歓迎している方は多いのではないでしょうか。
記念すべき新設初年度の東京ダービートライアル、勝ったのは
ミヤビジンダイコ、2着が
ゼットン。この2頭は東京ダービーへの優先出走権を手にしたわけです。
スタートで立ちおくれたミヤビジンダイコは向こう正面でもしんがりを追走。隊列がそれほど縦長ではなかったとはいえ、4コーナーでもうしろから2頭目で、極端な言い方をすれば、競馬をしたのは最後の直線だけ。いちばん外をとおって一気に全馬を差し切りました。なんとも大味というか豪快なレースっぷり。
2着のゼットンは中段やや後ろからレースをすすめ、向こう正面で積極的にポジションを上げて行き、3コーナーから4コーナーでは先頭に差のない3番手。直線に向いてから前を抜き去り、後続をつきはなすという、いわば「自力の競馬」を見せました。勝ち馬の決め手に屈して2着でしたが、3着を4馬身はなしてのゴールでした。
羽田盃と同じく1800メートルでおこなわれたこのレース。単純に時計の比較をすると羽田盃のほうが2秒ほど優秀で、そういう意味では重賞に出られたメンバーと出られなかったメンバーの力量差というものがあるのか、とも思われます。
しかし、馬場差や展開の違いもありますから、カンタンにそうとも決められず、むしろこうしたレースで本番への切符を手にした馬たちは数字にあらわれない、目に見えない「何か」を持っている可能性がある、という見解もあるでしょう。
塚田委員長も、
「ここで権利をとった馬には、当然、本番に出てほしいですね。そしていいレースをしてもらいたい」
と語っておられました。
まずは無事に、本番へ駒をすすめてもらいたいものです。
なお、今回の「東京ダービートライアル」は、三冠レース第1弾・羽田盃のわずか2日後におこなわれましたが、これは
「開催日程の関係でそうなってしまいました。本当は、5月の開催に実施したかったんですが、そちらでは東京ダービーまで中1週になってしまうので。ダービー出走への最後のチャンスにしたかったんですが」
というお話でした。
来年以降は実施時期がかわるかもしれません。
最後に。
この「東京ダービートライアル」という、「ど真ん中のまっすぐ」的ネーミングですが。
ええと、どなたの命名でしょうか?
「わたしです(笑)」(塚田修開催執務委員長)
そうでしたか。
これが野球なら、意表をつかれて見逃してしまうほどの真ん中ストレート、ヘンな変化球よりずっといい、とわたしは思います。いや、ホントに。
次回は、船橋競馬場でおこなわれる重賞・東京湾カップについて書く予定です(内容などは変更することが、ホントにありますから。変更になっても怒らないように…って誰も怒らんか)。
羽田盃
2010.4.27
こんにちは。東京ダービー実況担当(予定)の大川充夫です。
21日(水曜日)、大井競馬場にて、南関東三冠戦線第1弾の
第55回羽田盃がおこなわれました。
南関東地区の三冠レースはすべて大井競馬場でおこなわれる、というのは以前書いたとおり。羽田盃はその1つめのレースで、ここから直接、東京ダービーへむかうのがいわゆる「王道」であるという話も書きました。
今年、ひとつめの王冠を手にしてその「王道」をあゆむことになる(であろう)馬は、
シーズザゴールドです。…ええと、ひらたく言うと、羽田盃の勝ち馬はシーズザゴールドですよ、ってことですが。
第55回羽田盃、人気をあつめたのは
マカニビスティーでした。
マカニビスティーはJRA5戦2勝で今年春、大井へ転入してきた馬です。12月の新馬戦は芝生のレースで9着でしたが、その後ダートで連勝。2月にはオープンのヒヤシンスSで上位と差のない5着という経験があります。
南関東転入初戦で2着に1秒6差という圧勝を演じており、羽田盃しめきり直前オッズでは1.3倍という圧倒的な支持をうけました。
レースはナンテカが後続を離して逃げ、2番手タケノアリュールや3番手ライトラン、4番手からショウリュウといった馬がバラバラと続く展開。少し飛ばし気味であったのか、先行勢は3コーナーあたりで続々と苦しくなります。
マカニビスティーは、うしろから3頭目からの競馬。向こう正面で馬群の外をとおってポジションを上げていき、4コーナー手前では先頭にならびかけます。直線に向いて一気に後続をつきはなし、またしても快勝ムード、ではあったのですが。
道中、中段の内側をとおったシーズザゴールドが残り800メートルを切ったあたりで徐々に前に進出し、直線に向くあたり(残り400メートル)では先行勢の直後、いわゆる第2列目に位置しました。
抜け出すマカニビスティーに、外へ進路を切りかえて伸びてくるシーズザゴールドがせまり、残り100メートルからは馬体をあわせた追いくらべ。
決着はハナ差。
わずかに外のシーズザゴールドが競り勝ちました。鞍上は内田博幸騎手(この日はJRA交流戦が組まれており、大井での騎乗がかないました)。
3着は2頭から5馬身おくれて
ブンブイチドウ。後方からレースをすすめるクチで、このレースでも中段よりうしろから。いつものようによく伸びてきて混戦の3着あらそい(3/4、1/2馬身差でウインクゴールド、ドラゴンキラリが4着・5着)では先着。重賞での入着が続きます。
内田博幸騎手コメント(表彰式にて)
「(荒山勝徳調教師からは)指示というよりは、騎手の感じとった感触でレースしてくれ、と。
(人気のマカニビスティーについては)うしろから早めにあがってくるってことを予想はしていました。(マカニビスティーは)直線なかばで脚色がちょっと重くなった感じがしたので、これはかわせるかな、と思いました。
一旦かわしたんですけど、今度はボクのほう(=シーズザゴールド)が進まなくなっちゃったので、また並び返されてしまったんですけど、勝負根性を出してくれたと思います。
今年はいろいろありましたけど、ようやく大井で乗ることができて、こうやって大きなレースが勝てたことを、ファンのみなさんや関係者のみなさんに感謝したいと思います。本当にどうもありがとうございました」
今年の南関東三冠戦線は混戦です。ってのはすでに書きました。
一冠目・羽田盃を終えてその混戦さ加減に変化があったか、というと。
わたくし個人の感想ですが、どうもあまり変化はないようです。
もちろん、一冠目を勝ち取ったシーズザゴールドが東京ダービー本番で注目と人気を集めることは間違いありません。そしてハナ差2着のマカニビスティーも負けて強し、次では巻き返し必至、という見方で問題ありません。
が、羽田盃の結果がそのまま本番の東京ダービーに反映されるかどうか、という話になると…。
どうでしょうかねえ。それほどカンタンじゃないんじゃないか、と思うのですが。
いや、ただ単にわたくしに見る目が備わっていないだけという話もあるのですが。
わかりません。
とりあえず、23日におこなわれる、新設の東京ダービートライアルを見てみましょう。
てなわけで、次回はその新設トライアルについて(内容は突然変更することがあります…って、これ、いちいち断っておかないとイカンですかね?いや、勝手に断ってるだけなんですけど・笑)。
東京ダービーへの道
2010.4.26
こんにちは。東京ダービーの実況を担当する(予定の)、(株)耳目社・大川充夫です。ダービーウイーク本番まであと丸5週間です(…ううむ、そうか、もう5週間しかないのか)。短い期間ですが、このブログで東京ダービーについていろいろと書いていきます。よろしくお願いします。
さて、「6日連続毎日ダービー」「連日連夜どこかでダービー」というダービーウイーク。東京ダービーは4日目におこなわれます。
今回はその東京ダービーへのステップレースなどをカンタンにご紹介します。
東京ダービーは南関東地区のダービーです。南関東三冠レースはすべて大井競馬場でおこなわれますが、出走資格は、浦和、船橋、川崎の所属馬にも公平にあたえられています。べつに大井の馬が出やすいとか、まして勝ちやすいなんてことはありません。4場平等。
直接/間接のステップレースも南関東4場でおこなわれます。
が、中でも
王道と言っていいステップの踏み方は、
京浜盃(大井・3月)→羽田盃(大井・4月)→東京ダービー
というもの。
羽田盃は三冠レースの一つ目ですから、当然、そこから二冠目へむかうのがもっともポピュラーなカタチとなります。ただ、羽田盃は07年まで5月におこなわれていましたので、そのころと現在とはまた違った見方が必要であるかもしれません。
このいわゆる「王道」のほかに、昨年までは
クラウンカップ(川崎)→東京ダービー
というのも有力なステップでした。
この数年、クラウンカップで活躍した馬の中から東京ダービーで活躍する馬が多く出ておりました。その筆頭が昨年の東京ダービー馬・サイレントスタメンです。
今年はクラウンカップの実施時期が1ヶ月ほど早くなり、昨年まで東京ダービートライアルだったこのクラウンカップ、今年は羽田盃トライアルとしておこなわれました(3月31日。勝ち馬はポシビリテ)。ので、昨年までと同様に「東京ダービーの有力な前哨戦」としてとらえていいものなのかどうか。
東京湾カップ(船橋・5月)→東京ダービー
というのも有力なステップです。
毎年ゴールデンウイーク開催中におこなわれる東京湾カップは、東京ダービーまでの間隔が「中3週」ほどですから、ここが実質「東京ダービー行き最終切符売り場」といえます。
このほかに、今年は新しく東京ダービートライアルが設けられました。4月23日におこなわれる
東京ダービートライアル・プラチナチケット賞
というレースで、上にご紹介したステップレースはすべて重賞レースですが、このプラチナチケット賞は収得賞金に上限を設けた「特別戦」です。2着馬までに本番への優先出走権があたえられます。
重賞に出走するには賞金がたりないんだけど素質はあるハズなんだよね、という、いわゆる「遅れてきた大物」のような馬にとってはうれしいレースです。
参考までに過去5年の東京ダービー馬たちの直前戦績をあげておきます。
09年 サイレントスタメン
京浜盃7着→クラウンカップ(4月15日)1着
08年 ドリームスカイ
クラウンカップ(4月16日)10着→東京湾カップ4着
07年 アンパサンド
京浜盃2着→羽田盃(5月9日)2着
06年 ビービートルネード
特別(5月2日)1着→特別(5月16日)1着
05年 シーチャリオット
京浜盃1着→羽田盃(5月11日)1着
今年の一冠目・羽田盃は4月21日にすでにおこなわれました。みなさまはそのレースをご覧になり、勝ち馬もご存じです。
今年の南関東三冠戦線の混戦さ加減が深まったのか、それとも誰もが認めるほどにずば抜けた中心馬が出てきたのか。
羽田盃を見れば、少なくともそのくらいのことは判断できる、ハズ、と思うのです。
が、わたくしまだそれを判断できません。
それはわたくしがバカだからではなく
(バカであることは事実ですが、この場合の理由ではない)、この稿を書いているのが羽田盃より多少過去だからです。これをお読みのみなさまがご存じの羽田盃の勝ち馬を、これを書いている段階のわたしは知らないのです。
だから東京ダービーへむけての勢力図がどう変化したのか、判断できない。
もっとも、これをみなさまがお読みになっているころには、よほどのことがない限り、わたしも羽田盃の結果を知っております。ので、なるべく早く、その結果を受けての「つづき」を書くつもりです。
てなわけで、次回は「羽田盃をうけて」です(タイトルやテーマは突然変更することがあります。いや、この場合はたぶんないですけど)。
大川 充夫
(東京ダービー担当)
実況場:南関東(大井、船橋、浦和、川崎)、金沢
その他:1997年、うつのみや競馬場にてレース実況デビュー。
うつのみや競馬・足利競馬の実況を担当した後、2005年から(株)耳目社に所属し、南関東地区・金沢の実況を担当。
楽天競馬にて地方競馬応援ブログ「日替わりライターブログ」の木曜日を隔週で担当。
個人的に地方競馬応援ブログ「ミツオーのセカンド・ボイス」をほぼ毎日更新中。
思い出のダービー馬:
2006年 第52回 東京ダービー ビービートルネード
選考理由:
自身、初めて実況を担当した東京ダービーの勝ち馬なので。
意気込み:
東京ダービーの実況を担当するのは2度目になります。はじめて担当したのは06年のことでした。
何日も前から妙にハイテンションになったことを覚えています。
ほかのどのレースも、二度とない特別なレースであることは承知していますが、それでもダービーと名のつくレースの「特別さ加減」は、ほかのどのレースとも比較になりません。
レース実況を仕事にしているからには、やはりダービーを担当しなくては甲斐がない…と思うかどうかはともかく、そういう見解も世の中にはあるだろうとは思っていますし、そう考えるとハイテンションを通り越して「イレこみ」状態になってしまったのでした。
2度目の今回も、レース当日は、出走するどの馬よりも実況担当がイレこんでしまうことは確実です。
でもファンのみなさまのテンションも高くなるでしょうから、それで丁度いいと思うことにします(笑)。