水沢競馬、復活。

2011年12月28日

 12月10日(土)、水沢競馬が復活した。
 筆者はその前日、開催直前、最後の準備に追われる水沢競馬場を取材させてもらった。

 岩手競馬は、3月11日の東日本大震災とその後の余震により、水沢競馬場のスタンドと併設のテレトラック(場外発売所)に大きな被害を受け、5月14日の盛岡競馬の開幕以降、盛岡競馬場のみでの開催を余儀なくされた。
 水沢競馬場で大きな被害を受けたのは、スタンドよりテレトラックの方だった。天井が崩落し、壁などに設置されていたモニターもほとんどが落下したという。3階に案内されると、それらがまるで新築のようにきれいに修復され、ファンを迎える準備は万全であった。しかし、この改修工事も水沢開催直前まで行なわれ、ギリギリでの完成だったということ。一方で、同じテレトラックの4階は、天井が修復中で、工事も中途となっており、今年度中の開催では使用されないそうだ。
きれいに改装されたテレトラック3F
未だ工事が完了していない4F部分

 スタンドの被害も決して小さくはなかった。屋内観覧席から走路を見渡す大きな窓ガラスの多くが割れ、こちらでもまた、設置されていた多くのモニターが落下したという。しかし、それらはすでに修復され、柱は新たに耐震補強の工事が施されていた。
多くの窓ガラスが割れたスタンド
スタンド内部 斜めの柱が今回新たに補強した部分


 そして迎えた12月10日。今年の1月10日以来、11か月ぶりの本場開催には、小雪がちらつき、厳しい寒さにも関わらず、開門前から多くのファンが列を作った。
 開門は予定より早められ、先着で振る舞われた奥州はっと(すいとん一種)などは瞬く間に品切れとなるなど、早くも競馬場は熱気を帯びていた。
開門前から多くのファンが詰めかけた
奥州はっとの振る舞いも盛況だった
 いよいよ今シーズンの第1レース。パドックに整列し、心なしかいつも以上に深くお辞儀をした騎手たちの表情は、防寒のためのマスクで見ることはできなかったが、この日を一番心待ちにしていたのは彼らではなかっただろうか。
第1レースの騎乗前
オープニングレースを制したオメガオンリーユー(左)
 オープニングレースは、1番人気に推された菅原俊吏騎手鞍上のオメガオンリーユー号(伊藤和厩舎)が3コーナーで先頭に立つと、直線でさらに後続を引き離して優勝。JRAから転入して4戦目の同馬は、記念すべきこのレースでうれしい初勝利を挙げた。
 第4レース後に行なわれた開幕セレモニーにも多くのファンが詰めかけ、小沢昌記奥州市長(岩手県競馬組合副管理者)があいさつ。震災によって大きな被害を受けた後、23年度中の再開はもとより、岩手競馬の存続すら危ぶまれたが、全国の競馬関連団体やファンからの支援によってこの日を迎えることができたことへの感謝の言葉を述べた。
  ファンへあいさつする小沢奥州市長

 3月11日、瞬く間に世界中を駆け回った衝撃的な映像は、人々に自然の脅威を改めて思い知らせたと同時に、困難に負けずに助け合う日本人の姿もまた、世界に驚きをもたらし、“日本は強い”ということを世界中に再認識させた。
 同じように、大きな被害を受けた岩手競馬を関係者、ファン、そして競馬サークルが一丸となって支え、5月の盛岡競馬開幕、今回の水沢競馬開幕を迎えることができたのは、日本の競馬サークルにとって、誇るべき結果ではないかと思う。中央・地方の壁なく、中には海外からも、岩手競馬をまさに“心をひとつに”支援し、応援したことは、最盛期の盛り上がりは無くなったと言われて久しい競馬界にとっても明るい話題ではなかっただろうか。
 復活に向けて準備を進めてきた岩手競馬の関係者には本当に頭が下がる思いだが、盛岡・水沢競馬の再開を心待ちにしてくれたファンがいたことが、大きな困難に見舞われながらも、今年両競馬場で競馬を開催することができた一番の理由ではないかと思う。

 東北地方の競馬は、2012年4月に予定されているJRA福島競馬の開催をもって“完全復活”となる。近年、売上のうち、インターネット投票が占める割合が年々増加しているが、地元に競馬場があり、生で競馬を楽しめることは、競馬ファンにとって、何よりうれしいことではないだろうか。パドックで馬をじかに見て、マークカードを塗り、発売機に並ぶ。スタンドで大きな声を出し、食堂でうまい飯を食べる。
 少しでも多くの人が競馬場で生の競馬を楽しめること、我が町、わが県に競馬場があることはファンにとって何にも代えがたいことであり、それこそが競馬に関わる者たちが何としてでも守らなければならないことだということを、今年何度か岩手競馬に足を運び、ファンや関係者の様子を見て強く感じた。


文・写真:NAR
取材協力:岩手県競馬組合