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菅原勲騎手、調教師に転身

2012年04月17日
文:松尾康司
写真:岩手県競馬組合、NAR

 菅原勲騎手が引退をほのめかしたのは昨年の8月頃だった。
 「ソロソロ引き際だと思っている。でも決して後ろ向きじゃない。元々、騎手になったときからの夢が調教師になること。引退を考えると、何故かいい馬に出会って時期がここまで延びただけ。自分が見つけた馬でメイセイオペラのようなスターホースを育ててみたい」

 菅原勲騎手の足跡がイコール、岩手競馬の歴史。そういっても過言ではないほど数々の名馬とともに歩み、数々の記録を打ち立ててきた。トウケイフリート、グレートホープ、トウケイニセイ、メイセイオペラ、トーホウエンペラー、そしてロックハンドスター。また“日本で一番多くのダービーを制した男”でもある。

 菅原勲新調教師は1981年10月17日に騎手デビュー。叔父が菅原和治調教師、父が同厩舎所属の厩務員というホースマン一家で生まれ育った。
 「自分が成績を残すことができたのは最初からいい馬に乗せてもらったから。デビュー2年目に東北ダービー(11月3日新潟・スーパーライジン)を優勝できたが、レース中にムチを落として焦りました。必死に手で叩いて何とか勝てた」。今では懐かしい笑い話となっている。
 同年、不来方賞(10月3日)も制し、騎手2年目で早くもダービー2勝。その後も恐ろしいペースでダービー勝利の数を積み上げていった。

 調教師免許合格の一報を受け、直後のインタビューでこう応えた。
 「31年間、ずっと走り続けてきたのでアッという間でした。やれることはすべてやりつくしたので、ムチを置くことに未練はありません」
 でも、そう言い切った後で「今、岩手競馬は冬休み中だから断言できたが、シーズンがスタートしたら騎手本能が疼くかも。自分が管理する馬が走った場合、なおさら自信がない」とボソリ。
 4月7日、新年度の岩手競馬が開幕したが、この件について聞き直していない。

引退セレモニーで後輩騎手らに胴上げをされる
 翌8日、全レース終了後に菅原勲騎手の引退セレモニーが行われ、約300人ものファンが集まり、皆川麻由美元騎手もわざわざ埼玉から駆けつけた。菅原勲騎手の存在がいかに大きかったかを誰もが再認識した。

 前後するが4月3日、盛岡市内のホテルで「2011 岩手競馬アワード(Iwatekeiba Award)」が行われ、3月31日付けで騎手免許を返上した菅原勲元騎手へ岩手県競馬組合から感謝状が贈られた。

 その中で菅原勲騎手の足跡VTRが映し出され、デビュー直後のインタビュー音源が流れると、あまりの初々しさに場内は笑いの渦。本人も困惑していたが、一番ウケていたのは小林俊彦騎手だった。
 あいさつは「自分がそんなに勝てる騎手ではなかったと思うが、その時々で色々な方に助けていただき、いい馬に乗せていただいて4000勝も達成できました。後輩には全国へ挑戦して勝てる騎手になってほしい。このような状況の中、これからも競馬を通じて勇気を与えていければと思っています」

 “このような状況”とは昨年、大震災により開幕さえ危ぶまれた時期を経て、5月14日に盛岡競馬場1場で開幕。さらには水沢競馬も復活し、無事にシーズンを終えたこと。そして新年度も通常どおりに戻って水沢競馬でスタートできるに到ったこと。
 菅原勲騎手は騎手部会会長として各方面に働きかけ、また様々な支援を受けたことに対する御礼を込めて園田などへも出かけた。
 震災直後には知人の安否を心配し物資を持っていき、ボランティア活動にも積極的に参加した。
 「今年はお世話になったお返しをする年。立場は違っても気持ちはまったく変わっていません」

 改めて調教師としての抱負を聞いてみた。
 「同じ競馬ですが、調教師としては新人。周囲は騒いでいるが、最初からうまくいくとは思っていない。焦らずコツコツと積み上げ、厩舎スタッフといっしょに成長していきたい。数字的な目標はありません。まずは万全の状態で送り出し、その結果として数字を残したい」。
 調教師デビューは早ければ4月21日。どんな気持ちで愛馬を送り出すのか、初勝利の瞬間はどうなるのか―。

 冒頭のコメントに戻る。「メイセイオペラのようなスターホースを作ることが自分の夢ですし、ファンの夢でもあると思っています。夢実現のために頑張りますので、応援よろしくお願いします」。菅原勲騎手の第二ステージがいま、始まる。