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連載第24回 1994年 ブリーダーズゴールドカップ

「大きな夢を見させてくれたササノコバン」
1994年ブリーダーズゴールドカップ ササノコバン

第6回 ブリーダーズゴールドカップ
Movie(映像ファイルサイズ:43MB)
 1980年代前半まで、道営競馬には数多くのスーパーホースが存在した。極量を克服し続けたシェスタイム、ぶっちぎりの連続で無敵の強さを誇り“怪物”と評されたコトノアサブキ、クイーンCで同一重賞6連覇という当時の世界記録を樹立したシバフィルドー、女傑トウメイの初産駒で道営記念を制したホクメイ、アラブ界にはエゾノランナー、ミスダイリンなどの「日本一」もいた。だが85年の門別トレーニングセンター開設、87年の「ホッカイドウ競馬」への名称変更、89年のブリーダーズゴールドC創設とハード面で華々しい話題が相次いだ80年代後半になると、ソフト面、つまり個性的なスターホースの存在感が薄くなってきたように思える。
 日本競馬全体のレベルアップで、血統面ではこれまでいなかった良血馬も入厩するようにはなっていた。だが競馬レベルはやはりJRAとは差がある。そのことが交流レースの増加で、ファンにもはっきりと判ってしまった。もちろん以前から、薄々は感じていたかもしれない。道営記念馬ベストボーイが88年オールカマーで勝ち馬から2秒近く離された13着惨敗(いまにして思えばこの着差は善戦の部類なのだが)の姿を目の当たりにすると、地元のヒーローに対して尊敬の念が薄らぐのも仕方がないことだった。そんな時代背景の中で登場したのがササノコバンだった。
 血統はいかにも昔ながらの“地方競馬血統”。父スズカコバンはGⅠ宝塚記念勝ちはあるものの、種牡馬としてはJRA重賞勝ち馬を輩出していない。母の父タニノチカラ、祖母の父シンザン。言うまでもない名馬だが、時代を考えればあまりにも渋い。西本博厩舎からデビューし、4戦目にようやく初勝利。2歳時は10戦3勝とそれほど目立った存在ではなかったが、使い込まれながら成長していくのがマイナー血統の真骨頂。3歳6月の王冠賞から北海優駿まで4連勝で2冠馬となり、3歳ながら挑んだ第5回ブリーダーズGCで8着。その後、堂山芳則厩舎に移籍し、生涯初の道外遠征となった水沢・ダービーグランプリでミスタールドルフの4着に善戦した。
 ササノコバンのピークは4歳から6歳にかけての2年間だった。常に脚部不安を抱えて万全な仕上げができない中で、11戦連続連対で7勝(重賞6勝)。この間、94年の第6回ブリーダーズGCを除く10戦はいずれも1番人気に推された。道営No.1を決定する道営記念は、94年が3馬身差、95年は5馬身差という圧倒的な強さを見せた。道営記念2連覇はミョウトクマル(62、63年)、ハツヒノデ(69、70年)、ダイゴシュウホマレ(71、72年)に続いて4頭目だったが、当時はまだ競走馬資源の乏しい時代であり、23年ぶりに達成したササノコバン以降は現在まで1頭もいない。JRAからの相次ぐ転入などで、王座を守り抜くことは極めて難しい状況での2連覇だったと言える。
 生涯成績33戦14勝(重賞8勝)、2着7回の中で、もっとも印象に残るレースを挙げるとしたら2着となった94年第6回ブリーダーズGCだろう。道営勢にとって地元開催のブリーダーズGCは屈辱の歴史だった。まだJRA勢が手探りだった第1、2回こそホロトウルフ、タキノニシキの2着はあったものの、その後はJRA勢がインフルエンザで出走しなかった第19回にギルガメッシュが初制覇した以外は惨敗を繰り返して、ファンはJRAとの能力差を痛感していた。だがササノコバンだけは大きな夢を見させてくれた。
 この年もマキノトウショウ、バンブーゲネシス、カリブソング、ヤグライーガー、スタビライザーとJRA勢は強力布陣で、地元では断然の成績を残していたササノコバンは6番人気。パドックで見ていても、544キロのバンブーゲネシス、532キロのカリブソングらJRA勢はいずれも500キロ以上の雄大な馬体を誇らしげに見せていたが、ササノコバンは464キロとややひ弱に見えてしまったものだった。だがレースでは、逃げるカリブソングがマキノトウショウを競り落としてそのまま完勝かと思われる中、馬群から1頭だけカリブソングに猛然と迫ってきたのがササノコバン。地元馬初Vを期待する大歓声に後押しされ末脚を伸ばし、3/4馬身まで詰め寄ったところがゴール板。惜しくも届かなかったが、地元ファンのJRAコンプレックスを払拭するのに十分な内容だった。
 翌95年の第7回ブリーダーズGCは、ササノコバンにとって更なる充実期。「今年こそ」の期待がかかり、新聞紙上ではJRAのダート王者ライブリマウントと人気を二分していたが、当日になって持病である左前脚の不安が発症して無念の出走取消。第8回ブリーダーズGCはピークが過ぎ5着敗退に終わったが、4年間にわたって道営を代表して果敢にJRA勢に挑んだ姿は、ファンに大きな感動を与えてくれた。
文●後藤正俊
写真●いちかんぽ
映像協力●北海道
競走成績
第6回 ブリーダーズゴールドカップ 平成6年(1994年)10月10日
  サラ系4歳以上 札幌ダート2,400m 晴・良
着順
枠番
馬番
馬名
所属
性齢
重量
騎手
タイム・着差
人気
1 8 12 カリブソング JRA 牡9 55 安田 富男 2:33:4 3
2 4 4 ササノコバン 北海道 牡5 56 國信 滿 3/4 6
3 1 1 マキノトウショウ JRA 牡5 56 根本 康広 3/4 1
4 6 8 バンブーゲネシス JRA 牡7 56 武 豊 2 2
5 3 3 スタビライザー JRA 牡7 55 柴田 善臣 1/2 5
6 2 2 ヤグライーガー JRA 牡5 56 熊澤 重文 4 4
7 7 9 ホロトグランプリ 北海道 牡5 56 千葉 津代 2 8
8 8 11 モガミサルノ 北海道 牡8 55 松本 隆宏 11/2 10
9 7 10 ヤマトオウジ 北海道 牡9 55 柳澤 好美 1/2 12
10 5 6 アトラスオーザ 北海道 牡5 56 佐々木 一 1 9
11 6 7 クラシャトル 北海道 牝4 52 小野 望 21/2 7
12 5 5 ロングタックル JRA 牡7 55 角田 晃一 3 11
払戻金  単勝⑫500円  複勝⑫190円・ ④340円・①150円  枠連複④-⑧3,860円