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連載第59回 1992年 全日本3歳優駿

『最初のまつり』
1992年 全日本3歳優駿 キタサンテイオー

 「ま~つりだまつりだまつりだ~キタサン~まつり~」。キタサンブラックで2015年の菊花賞を制し、馬主人生53年目にしてG1タイトルを手にした北島三郎氏。新聞記事などでは「記念すべき重賞初タイトル」は2001年のニュージーランドトロフィーに勝ったキタサンチャンネルと紹介されているが、それよりも9年前に「まつり」の原点はあった。
 1992年8月5日、船橋競馬の新馬戦でキタサンテイオーが2着サニーキャビネットに6馬身の差を付け圧勝した。父はメルシーアトラやアズマイースト、サクラサエズリなどを輩出したサウスアトランティック、母は東京プリンセス賞3着のキタサンクイン。キタサンクインはキタサンテイオーの他にも北島三郎氏のJRA重賞初勝利となるキタサンチャンネルや2勝目となるファンタジーステークスに勝ったキタサンヒボタンなど、多くの活躍馬を生んだ、北島三郎氏の曲で言えば「ああ・おふくろよ」のような名牝である。
 続くジュニアフラッグ特別、きんもくせい特別と連勝し、11月9日の平和賞に臨んだ。
 南関東3歳馬(当時)にとってその年初の重賞となった平和賞は、後の東京ダービー馬プレザントが逃げ、サイキョウタイムが2番手、そして3番手にキタサンテイオー。3~4コーナーで動き出すと、鞍上の石崎隆之騎手は迷うことなくプレザントとサイキョウタイムの間に突っ込み、残り100メートルでプレザントに並びかけるとあとは2頭のマッチーレース。半馬身交わしたところがゴール。3着に7馬身の差を付けていた。キタサンテイオーを管理していたのは開業4年目の川島正行調教師で、これが重賞初勝利であった。
 デビュー4連勝のキタサンテイオーの次走は大井の青雲賞(現ハイセイコー記念)。1番人気に推されたものの、後に羽田盃と東京王冠賞の2冠馬となる快速馬ブルーファミリーを捉えることが出来ず、1馬身1/2差の2着。このレースでも3着に9馬身の差を付けている。
 単勝1.5倍のダントツ1番人気に推されたキタサンテイオー。2番人気に平和賞2着のプレザント、3番人気は北海道3歳優駿(当時)で直線一気のごぼう抜きをみせたスイートビクトリア、4番人気に地元川崎のサクラブルバード、5番人気に北海道のジュライスリー、鞍上は角川秀樹騎手。
 レースはジュライスリーが逃げ、プレザントが2番手に上がり、その後ろに内からサイキョウタイム、キタサンテイオー、ガンガディーンが3頭横並び。カシワズペガサス、サクラブルバード、ガンナーロード、ワールドレコードと続き、少し離れてスイートビクトリアとインダスといった隊列。
 3~4コーナーでプレザントが逃げるジュライスリーに並びかけ、少し外に膨れ気味になると、その空いたインを突いたのがキタサンテイオーで最後の直線に入る。抜け出しを計るプレザントに馬体を寄せるキタサンテイオー。平和賞同様、この2頭によるマッチレースの様相となる。
 プレザントは直線でも外に逃げるようなそぶりをみせ、逆にキタサンテイオーは真っ直ぐゴールへ向かう。キタサンテイオーの脚色良く、3/4馬身差振り切ったところがゴールだった。3着のスイートビクトリアはインを突きよく伸びたが、1、2着から5馬身差の3着だった。
 グレード制施行前の92年だが、これが馬主の北島三郎氏にとっても、川島正行調教師にとっても「実質」G1級タイトル制覇である。
 「強い馬だよ。追い出すと必ず鋭い脚を使ってくれる。来年も楽しみです。」と石崎隆之騎手。プレザント、ブルーファミリーとともに「3強」でクラシックを迎えるものと誰もが思っていたのだが、キタサンテイオーの次走はそれから1年7ヵ月後の1994年7月17日、JRA新潟競馬場で行われた朱鷺ステークスであった。
 全日本3歳優駿を勝った後、川島師の「中央でも重賞を勝てるでしょう」という言葉でJRA嶋田功きゅう舎へ転厩。中央緒戦となるスプリングステークスの直前に左前のトウ骨に骨膜が出て回避。長い休養に入り中央デビューが遅れてしまった。
 朱鷺ステークスはマザートウショウとエヌティウイナーが競り合い33秒2のハイペース。キタサンテイオーは中舘英二騎手を背に離れた3番手集団を進んだが、メジロカンムリが1分20秒7のレコードタイム(当時)で差し切り、半馬身差の2着に敗れた。とはいえ、レコード駆けから0.1秒差の2着なら、川島師の「中央でも重賞を勝てるでしょう」という言葉通りの力は示した、はずだった。
 結局、中央では18戦し1500万の阿武隈ステークス1勝2着2回に終わり、1998年7月の朱鷺ステークスで7着を最後に引退。「乗馬」となったはずだが、その後の消息は不明である。
文●日刊競馬 小山内 完友
写真●いちかんぽ

競走成績

第43回 全日本3歳優駿 平成4年(1992年)12月22日
  サラブレッド系3歳オープン 1着賞金1,700万円 川崎 1,600m 晴・良
着順 枠番 馬番 馬名 性齢 重量 騎手 タイム・着差 人気
1 5 5 キタサンテイオー 牡3 54 石崎隆之 1.42.0 1
2 6 7 プレザント 牡3 54 桑島孝春 3/4 2
3 4 4 スイートビクトリア 牝3 53 川島洋人 5 3
4 8 11 カシワズペガサス 牡3 54 岩城方元 3 7
5 7 9 ガンガディーン 牡3 54 河津裕昭 2 8
6 7 8 ガンナーロード 牡3 54 森下博 クビ 11
7 2 2 ジュライスリー 牡3 54 角川秀樹 5 5
8 3 3 サクラブルバード 牡3 54 金子正彦 3/4 4
9 1 1 サイキョウタイム 牡3 54 久保勇 4 10
10 8 10 インダス 牡3 54 山崎尋美 2 6
11 6 6 ワールドレコード 牡3 54 佐々木竹見 3 9
払戻金 単勝150円 複勝100円・120円・140円 枠連複250円

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