INTERVIEW 矢作芳人調教師インタビュー

取材・構成:不破由妃子
写真:桂伸也

ブリーダーズカップでは、ラヴズオンリーユーのフィリー&メアターフに続き、マルシュロレーヌがディスタフを制覇。矢作先生にとってはもちろん、日本競馬界にとっても歴史的な1日となりました。

 勝つために行ったとはいえ、二つとも勝てるとはさすがに思っていませんでした。正直、マルシュロレーヌに関しては驚きのほうが大きかったです。もちろん、自分なりに計算があって参戦を決めたわけですが、そこまでの日本勢のダートにおける戦いを見て、「ああ、やっぱりダートは全然通用しないんだな…」と思っていたところだったので。

そんななか、勝負どころで後方から一気に先頭まで押し上げ、そこから最後まで押し切るという堂々たる走りを見せてくれました。前半のポジショニングや仕掛けのタイミングなど、作戦通りだったのでしょうか。

 アメリカのダートは、テンのスピードからして全然違いますからね。だから、オイシン(・マーフィー騎手)と事前に打ち合わせた際、「どっちにしろ前には行けないと思う。展開待ちになってしまうけど、そこは開き直ろう。あとは任せる」という話をしました。思い切った作戦でしたが、それがいい方向に出たというのはありますね。

 ただ、仕掛けた瞬間や先頭に立つタイミングは、さすがに「早いな」と思って見ていましたよ。まぁ舞台が舞台ですから、4角で先頭に立った時点ですでに感動していましたけどね(笑)。でも、あとからレースを見直したら、あそこで仕掛けなかったら締められていただろうなと思ったし、結果的に勝ったわけですから、ベストなタイミングだったんでしょうね。

思い切った作戦もその一つではありますが、そのほか勝因についてはどう分析されていますか?

 海外で勝つためには、すべてが噛み合わないといけないので勝因もいろいろあると思いますが、まず馬の状態でいうと、ラヴズオンリーユーと2頭で行けたこと、現地でついてくれたポニー(普段の調教の段階から競走馬に寄り添い、競走馬の精神状態を落ち着かせるための誘導馬)を加えてのチームがすごくよかったことで、いい状態を保ったまま本番を迎えることができました。

 ディスタフ参戦が決まった頃はね、ラヴズオンリーユーの帯同馬という見方が多くて、クラブの馬ですから、「なんでラヴズオンリーユーの遠征に付き合わされなきゃいけなんだ」みたいな意見も目にしたんですよ。でも、実際に助けられたのは、むしろマルシュロレーヌのほうで。ラヴズオンリーユーは、春の時点でドバイから香港という遠征をたった1頭で克服していますからね。

僚馬2頭で行くというのは、それほど大きなことなのですね。

矢作調教師 01

 とくに今回は牝馬2頭でしたから。はたしてマルシュロレーヌ1頭で行っていたらどうだったか…。大丈夫だったとは言い切れない気がしますね。

 それと、もう一つ勝因として挙げられるのは鉄です。ダートはスパイクを履かないといけないので、その選定にはずいぶんと悩みました。ノーザンファームの獣医さんとふたりで散々迷って決めたのですが、結果的に正解だったのかなと思っています。

そもそもマルシュロレーヌは芝で3勝を挙げていて、牝馬限定重賞でも差のない競馬をしていた馬。初ダート初勝利となった2020年9月の桜島S(3勝クラス・小倉ダ1700m)の前走も、博多S(3勝クラス・小倉芝2000m)で2着していたわけですが、なぜあのタイミングでダート路線に舵を切ったのでしょうか。

 早い段階から、うちの攻め専の岡助手が「ダートがいい」と言っていたんです。今は僕が実際に乗ることはないので、その感触自体はわからないのですが、彼の言葉を受けて、以前からダートを使いたいとは考えていました。

 最後に決め手となったのは、やはり岡助手の言葉で、博多Sを負けたあとに「先生、ここでダートに行きましょう」と。いうなれば、伝家の宝刀を抜いたような感じでしたね。

 現実的には、芝の成績が悪すぎてダートに替えるケースが多いわけですが、そういうときって馬の状態もよくないんです。だから、失敗する。グランプリボスをフェブラリーS(2012年・12着)に使ったことがありましたが、まさにその典型例でした。だから、路線変更が視野に入っているのであれば、状態がいいときに決断しなければという思いがありました。

もし、博多Sを勝っていたら、また違う選択になっていた可能性もありますか?

 そうですね。もし勝っていたら、ダートに転向することはなかったかもしれません。その後に転向したとしても、間違いなく今はなかったんじゃないかと思います。

その決断が功を奏したことは、初ダートとなった桜島Sでいきなり証明されましたね。外から一気に差し切る鮮やかな勝利で、騎乗した川田騎手も手放しでダート適性の高さを認めていました。

矢作調教師 02

 僕もね、あの勝ちっぷりを見て「これはすごいな」と思いました。これは交流の牝馬重賞を勝ちまくるなと。その未来までは見えていましたね。

先生の読み通り、その後は交流重賞を転戦し、レディスプレリュード(JpnII・大井ダ1800m)、TCK女王盃 (JpnIII・大井ダ1800m)、エンプレス杯(JpnII・川崎ダ2100m)、ブリーダーズゴールドカップ(JpnIII・門別ダ2000m)と、わずか1年足らずの期間で四つの交流重賞を制覇。本領発揮の舞台を得て以降、マルシュロレーヌにはどんな変化がありましたか?

 それほど極端な変化は感じませんでしたが、力をつけてきているなと思ったことはあります。というのも、あの馬は本来、夏馬なんですよ。冬はいつも状態が上がってこなくて、体も見るからに冬毛が出て。そんな体でも、1月のTCK女王盃や3月頭のエンプレス杯を勝ち切ったあたり、交流重賞を戦うなかで鍛えられてきたのかなと思いましたね。

ブリーダーズカップへの参戦は、いつ頃から視野に入っていたのでしょうか。

 交流重賞初制覇となったレディスプレリュードは不良馬場でしたが、どちらかというと、ああいう軽い馬場が合っているんですよね。その適性がわかったこと、それと芝2000mで1分57秒9という持ち時計があったこと。まずはその2点で、選択肢のなかに“アメリカ”が入ってきました。

 さらに、2021年のJBCが金沢ということは、レディスクラシックは1500m。マルシュロレーヌにとって、決してベストとはいえない距離です。そこからですね、「JBCを使わないとしたら、BCだろ」と(笑)。まぁ最初は軽い気持ちでしたが、先ほども話したように、今回はラヴズオンリーユーと2頭で行けるというのも大きかった

 あとは、勝算を持って臨んだ平安S(3着)や帝王賞(8着)で、思ったほど走れなかったというのもあります。それならむしろ、日本のダートより時計が速いアメリカのほうがいいかもしれない。そういう考えもありました。

ディスタフといえば、ダート競馬の本場であるアメリカの最強女王決定戦。そこで頂点を極めたという事実に、どんな意義を感じていらっしゃいますか?

 いつかその壁を破ろうという思いは、凱旋門賞に共通するものがあると思っていたので、それに匹敵する勝利なのかなと思っています。それに、日本の競馬社会のなかにはアメリカのダートに対するトラウマがあるというか、端から敵わないという感覚が少なからずあったと思うんです。でも、今後はそれがなくなるのではないかと。だとしたら、ケンタッキーダービーやBCクラシックを目指すような馬がもっと出てくるのではないかと思うし、ぜひそうなってほしい。そのための、一つの布石にはなったかなと思います。

 なにしろマルシュロレーヌは、国内ではGIもJpnIも未勝利ですからね。あのマルシュロレーヌが勝つんだから…みたいな動機でもいいと思うんですよ。

ともかく、日本のダート競馬の歴史を動かしたのは、紛うことなき事実です。ダートグレード競走として統一されてから間もなく25年が経とうとしていますが、今後のさらなる発展、世界的価値の向上について、どんな思いがありますか?

 中央所属馬の選定方法が変わったりなど、いろいろと改善を重ねて少しずつ洗練されてきたとは思います。ただ、やっぱりJpnではなく、G(グレード)を獲得してほしい。これはJRAにも言えることですが、マルシュロレーヌがあれだけ強い競馬をしてきても、リステッドしか勝っていないことになりますからね。

「JpnIでGII」みたいに、ダブルスタンダードになっても僕は構わないと思うんです。もっと視野を広げて、その馬が世界的にどう評価されるか、そこをもっと重要視する時期にきているのではないかと。今後、日本の砂の猛者たちが世界に羽ばたくためには、そこが一番の課題だと僕は思っています。

本日は貴重なお話をたくさん聞かせていただき、本当にありがとうございました。最後に、全国のダート競馬ファンに向けてメッセージをお願いします。

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 マルシュロレーヌのこの度の快挙は、ファンのみなさんにはもちろん、地方競馬の関係者のみなさんにも、少しは夢を与えることができたのかなと思っています。2021年は、JBCクラシックも船橋のミューチャリーが勝ちましたし、なにしろマルシュロレーヌがBCディスタフを勝ったわけですからね。挑戦し続ければ、必ず可能性は広がっていく。

 僕は大井出身ですから、中央競馬にはない、地方競馬ならではの面白さがあることは重々わかっていますが、そういった挑戦をファンのみなさんに見せることで、今、目の前で行われてる競馬が、中央へ、そしてその先の世界へ繋がっていくことを感じてほしいという思いもあります。

 そのためにも、関係者のみなさんには、広い視野と夢と希望を持って頑張っていってほしい。僕はもちろん、これからも挑戦を続けます。地方、中央を問わず、世界に挑戦する馬がどんどん出てきて、日本の馬が世界を席巻していく……そんな日がくることを願ってやみません。

(文中敬称略)

2022年1月28日掲載