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宮下瞳騎手、国内女性騎手史上初の1000勝達成


クローズアップ

2021.12.06 (月)

国内女性騎手初の快挙
 地方競馬通算1000勝達成

大きな拍手で迎えられた地方通算1000勝だった。11月15日から始まった名古屋開催をメモリアルまであと6勝で迎えた宮下瞳騎手は、初日にいきなり2勝を挙げると、16日1勝、17日は第7レースで勝つと最終レースも勝利し、王手をかけた状態で18日のレースを迎えた。

その1鞍目、第2レースで騎乗するリアルスピードはここまで8戦続けて宮下騎手が手綱をとり、ここ2戦は好位を追走して2着、4着とあと一歩のところまできていた。そうなれば単勝1.6倍の1番人気に推されるのは当然だろう。スタートから前2頭が競り合う形で飛ばしたため、3コーナーでも先頭から8馬身ほど離れていたが、「早めに仕掛けると、しまいが甘くなってしまう」(藤ケ崎一人調教師)という同馬の特徴を把握し、宮下騎手は追い出しをギリギリまで我慢。そして、直線でしっかり捕らえて勝つと、名古屋競馬場は一気に祝福ムードに包まれ、たくさんのシャッター音が鳴り響いた。

「ホッとしたのと、嬉しいです」と、多くのテレビ局や一般紙の記者を前にして笑った。

ポルタディソーニで重賞4勝

2005年に当時騎手だった小山信行さんと結婚し、11年、妊娠を機に引退。2人の男児を出産し、騎手住宅に住みながらも夫がレースに勝ったことを近所の人から聞いて知ることもあるくらい競馬からは離れていた。

ところが、長男の「ママが馬に乗っているところを見たい。『ママがんばれ!』って僕、応援するよ」という言葉に突き動かされ、16年8月、ママさんジョッキーが誕生した。一度引退しながらも、再び騎手免許試験に合格して復帰するのは日本の女性騎手では初めてだった。

翌年6月にはかけがえのない存在となる1頭の牝馬に出会った。その馬は、JRA・1勝から移籍してきたポルタディソーニ。

移籍初戦からコンビを組み、同年9月の秋の鞍でコンビ重賞初制覇を果たすと、その後も18年と20年の梅見月杯、19年名港盃と、重賞で計4勝を挙げた。とりわけ19年名港盃ではゴール前、同期の下原理騎手(兵庫)との接戦を制して勝利。「同期に勝てたことがまた嬉しかったです」と満面の笑みをこぼした。

同馬は今年4月に引退し、繁殖牝馬となったが、「復帰してからの私を成長させてくれた大事な馬で、ポルタディソーニと勝たせてもらった重賞はすごく思い出に残っています」と話す。

重賞以外のレースでも環境の変化があった。11年の引退時も、16年の復帰時も名古屋競馬の女性騎手は負担重量が永年1キロ減で騎乗していたが、JRAでは19年3月から「女性騎手は騎手免許取得後5年以上または101勝以上を挙げても一般競走に限り、永久的に2キロ減を与える」とするルールが施行され、名古屋競馬でも翌4月から同内容のルールが適用された。

当時すでに760勝以上を挙げていた宮下騎手にとっては「2キロ減がなくても勝てる」という矜持もあったのではないかと想像するが、「いまは少しは生かせられるようになって、これまでだと逃げていても3~4コーナーで後ろを離しにかかっていたんですけど、そこを少し我慢して、直線でもうひと伸びできているように感じます」と、新たなルールを最大限に活用する。

小回りで、速い時計の出やすい砂質とあって逃げ・先行が圧倒的に有利な名古屋競馬場では、減量を生かして積極的に運ぶ宮下騎手に騎乗馬が多く集まるのは納得といえよう。

女性騎手初の年間100勝も達成

1000勝に王手をかけた日も全11レースに騎乗していて、そんな日も珍しくはなく、昨年は名古屋競馬場に限定すると、騎乗数は大畑雅章騎手の882鞍に次ぐ863鞍。そして、自身初となる年間100勝を達成した。もちろん、国内女性騎手では初めてのことで、最終的に105勝で20年を締めくくった。

一方で、騎手復帰後は二度の大怪我にも見舞われた。19年は落馬して鼻を骨折。「騎手になりたい」と話していた長男は、腫れあがったママの顔を見てしばらく将来の夢を話さなくなるほど衝撃を受けた。

今年5月には向正面で騎乗馬が故障し落馬。脳震とう、肺挫傷、肋骨骨折、さらに後日には首の骨折も判明し、約1週間は強烈な吐き気とめまいに襲われたが、後輩騎手一家や近隣に住む厩務員家族、その他多くの人に助けられた。

「鼻を骨折した時は復帰を焦ってしまったので、今回はじっくり治して6月から調教復帰できれば」と当初は話していたが、回復するとじっとしていられず、5月下旬に調教復帰。師匠の竹口勝利調教師は「昔にも、骨折しているのに調教に出てきて、うちのお母ちゃん(妻)が『帰りなさい』と怒ったこともあったんですよ(苦笑)」というのだから、そういう性分なのかもしれない。

5月の落馬からの復帰戦となった6月15日の名古屋競馬第2競走にて

そんな真面目な姿を厩舎関係者たちもずっと見てきたからこそ、先述の騎乗数の多さにも繋がっているのだろう。

それにしても、宮下騎手はなぜここまでパワフルな毎日を送れるのだろうか。本人は「馬に乗るのが好きですし、息子たちの応援があるからだと思います」と話し、10代の頃から見守ってきた竹口調教師は「疲れたってことを言葉や態度に出さないから偉いよね」と称える。夫・小山元騎手が韓国に単身赴任中とあって、深夜1時前からの調教の合間、朝を迎えると小学生2人の息子を見送りに一旦帰宅し、再び調教に戻った後はレースやトレーニングに励む。もちろん、炊事洗濯といった家事もきっちりこなす。「レース開催前の日曜日は子どもたちとバドミントンをするんです」と、息子たちとの時間も大切にしてきた。

以前から「家事は元々好きだし、仕事を始めたことで疎かになることが自分でも嫌」と話してはいたが、その原点は子供時代に見た母の姿もあるのかもしれない。

「母はずーっと動いているイメージでした。昨年亡くなったんですけど、私たち5人の子供の面倒を見て、朝は早くから仕事に行っていました」。幼い宮下少女の脳裏に、仕事と家事を両立する母の姿が当たり前のように焼き付いたのかもしれない。

宮下騎手自身は「いまがすごく楽しいです!」と忙しくも充実した日々を送っている。息子たちは宮下騎手が帰宅すると、「ママ、今日勝った?」と聞いてくる。「ダメだったよ」と答えると、9歳の長男は「そっか、また頑張ればいいじゃん!」と励ましてくれるというから、その充実ぶりが伝わっているのだろう。

夢は母子ジョッキー

1000勝達成の翌日に行われたセレモニーには、息子たちは宮下騎手の勝負服がデザインされたTシャツを着てお祝いに駆け付けた。勝負服にちなんだピンクと紫があしらわれたブーケを手渡すと、ちょっと照れくさそうに走って帰って行ったが、セレモニー後半は報道陣の横まで来て、正面からママの姿を見つめる場面もあった。

「復帰した頃は1000勝までいけると思っていませんでしたし、正直まだ実感がありません。せっかく復帰してまた手にした騎手免許なので、1日でも長く乗っていたいです。何年後になるかは分かりませんが、調教師を目指したいとも思いますし、最近息子が『騎手になりたい』と言っているので、いつか一緒にレースに乗れたらな、という夢もあります」

セレモニーで凛としてそう話した日、良きライバルとして戦ってきた別府真衣騎手(高知)が調教師試験に合格し、11月末をもって騎手を引退することが発表された。騎手復帰時、宮下騎手が持つ国内女性騎手最多勝記録に別府騎手が迫っていて、最多勝争いも注目を浴びたが、結果的に宮下騎手がリードを広げ、別府騎手は国内女性騎手歴代2位の勝利数をもって引退することとなった。同じく11月末で岩永千明騎手(佐賀)も引退し、宮下騎手に次ぐキャリアを持つのはデビュー9年目、地方通算464勝の木之前葵騎手(愛知)。一気に世代交代の波が押し寄せた女性騎手界だが、復帰後ますますパワフルさを増す宮下騎手は、これからもさらなる活躍を見せてくれるだろう。

大恵陽子

写真 早川範雄(いちかんぽ),大恵陽子,愛知県競馬組合