佐賀所属騎手として初めて地方通算5000勝をマークした鮫島克也騎手が調教師試験に合格、2021年11月末日付で騎手を引退した。佐賀では1995~2005、07年に11年連続、12回リーディングのトップに立ち、01年にはJRA阪神競馬場で行われたワールドスーパージョッキーズシリーズ(WSJS)で総合優勝。今年もドゥラリュールでの重賞2勝や、サマーチャンピオンJpnIIIでラプタス(JRA)に騎乗してのダートグレード初勝利など活躍していた。79年10月の騎手デビューから42年間(足掛け43年)、24,438戦5,054勝(ほか中央30勝)という地方競馬歴代5位の記録を残してムチを置いた。
現役最後の日を勝利で飾る
最終騎乗となった11月28日には、同じく調教師試験に合格した真島正徳騎手、引退する吉田順治騎手と、3名合同での引退セレモニーが第1レース終了後に行われた。
佐賀競馬では昨年来、コロナ感染症対策のため重賞の表彰式等を中止しており、ファンの前への登場は久しぶり。澄み切った青空のもと、3騎手がファンへの感謝を告げ、関係者から両手で抱えきれないほどの花束贈呈など、終始和やかな雰囲気でのセレモニーとなった。
日が沈みナイター照明が点灯され、残す騎乗があと2つとなった第7レースでサヤノルージュに騎乗した鮫島騎手は、3番手追走から内を抜け出して勝利。またこのレースが最終騎乗だった真島騎手は3着だった。
そして最終騎乗となった第9レース。鮫島騎手のバレンティーノは、勝利を願うファンから1番人気に推された。しかし中団から直線伸びたものの、勝ち馬に半馬身届かず惜しくも2着。勝ったアウティスタの鞍上は、鮫島騎手に替わって佐賀リーディングを続けている山口勲騎手で、ラストランは佐賀を代表する両ジョッキーの競演となった。
最終騎乗を終えると「いままで無事にここまでやってこれて、ほんと幸せです」と笑顔で答えた鮫島騎手。自身の記念撮影を終えた後、第10レースで最終騎乗を迎えた吉田騎手の記念撮影にも参加。引退セレモニーから3騎手それぞれの最終騎乗と、寂しさを実感する暇もないほど慌ただしい1日となった。
騎手として数々の名勝負を見せてくれた鮫島騎手。12月からは調教師として、これまで同様に佐賀競馬を盛り上げてくれることだろう。
最終騎乗と引退セレモニーが行われた当日、引退を迎えての心境や、調教師としての意気込みを語っていただいた。
息子たちにも乗ってもらいたい
――昨年末(12月26日)に地方通算5000勝を達成。今年はダートグレード初勝利という結果を残しての引退となりますが、今のお気持ちをお聞かせください。
鮫島:そうですね。今まで42年間、多くの人に支えられて、ここまでやってこれたのに大変感謝しています。自分でもこんなに長く乗るとは思ってなかったんですけど、まぁなんとか5000勝も達成できて、ほんとうに周りの人たちには感謝しかないですね。
――これまで騎乗された馬で、特に印象に残っている馬というのは。
鮫島:思い出に残る馬というのはいっぱいいますが、やっぱりウオッカ(06年10月29日、京都の新馬戦で騎乗して勝利、のち日本ダービーやジャパンカップなどGI・7勝)が一番印象に残っていますね。それとリルダヴァルですか、あの新馬戦(09年8月23日、小倉の新馬戦を勝利)もめっちゃ印象に残っています。
――その2頭はJRAの馬ですが、佐賀の馬ではどうでしょうか。
鮫島:佐賀の馬では、最初に親父(鮫島勉・元調教師)のところでダービー(92年栄城賞)を勝ったニシキトウカイとか、キングオブザロード(通算32勝、鮫島騎手で97年サラブレッドグランプリなど重賞4勝)とかですかね。あとカムイフアースト(91年開設記念など)とか、印象に残っている馬は結構いますね。
――キングオブザロードではJRA阪神のプロキオンステークスに遠征(96年、13着)しました。
鮫島:中央ではやっぱ全然通用しなかったですね。あのときは返し馬が大変でした。全然回ってくれなくて。
――荒尾遠征(00年8月12日、九州王冠)で4着の後引退し、今から10年前に亡くなりました
鮫島:引退後は障害(馬術)をやっていたそうですね。
――鮫島騎手は佐賀ヴィーナスカップや佐賀スプリングカップなど、最近創設されたものも含め多くの重賞レースを勝たれていてますが、佐賀の重賞で勝っていないものはあるのでしょうか。
鮫島:うーん……たいてい勝ったと思いますけど、カペラ賞(と、ル・プランタン賞)とかは勝ってないですね。
――鮫島騎手といえばWSJS優勝という輝かしい実績がありますが、あの優勝の後、JRAでの騎乗数が大きく増えていきましたが、優勝の影響というのはありましたでしょうか。
鮫島:佐賀から遠征に行く馬が少なくてなかなか中央に行く機会がなかったですけど、それ(WSJS優勝)は結構影響があったと思います。
――その頃は毎年佐賀のリーディングを獲られていましたが、06年に獲れなかったときに何か思いはありましたか。
鮫島:そこは全然なかったですね。WSJSを勝った後に、モチベーションを保てなくて。勝ちたいのは勝ちたいんだけど、考え方が『レースは楽しんで乗ろう』という感じになっちゃって。それでちょっと韓国とかに行った(10年)んですよね。他所のレースも見てみたいな、どんなレースなのかな?と思いまして。
――荒尾や中津との連携で“九州競馬”をやっていた時期がありました。宣伝ポスターに戦国武将の扮装で登場され、ファンに好評でした。
鮫島:そのころ、3県交流で競馬が盛り上がればいいな、とは思ってましたけどね。
――あの3人(佐賀:鮫島騎手、荒尾:牧野孝光騎手、中津:尾林幸彦騎手)で、最後の現役だった鮫島騎手が引退となり、一つの時代に区切りか付いた感じがします。鮫島騎手は荒尾で重賞を14勝されていますが、荒尾と佐賀で乗り方の違いはありましたか。
鮫島:荒尾は佐賀に比べて直線が長かったから、追い込みも効いていたので、慌てて(前へ)行かなくても、力がある馬なら直線だけでも間に合うような感じで乗りやすかったですね。
――佐賀からの遠征の他に、たんぽぽ賞や霧島賞ではJRAや兵庫の馬に騎乗しての勝利が多くありました。
鮫島:九州産は結構勝たせてもらいました。
――ご子息ふたり(鮫島良太、鮫島克駿)はJRAで騎手をされています。15年8月29日には小倉で、12月23日には佐賀で父子3名の対戦があり、佐賀では3人で鮫島騎手の勝負服を着ての記念撮影もありました。その時に感じたことはありましたか。
鮫島:息子2人と一緒にレースを走れるというのは幸せだなというのはありましたね。
――今後調教師としてご自身の管理馬で中央遠征ということがあると思いますが、その時にご子息に騎乗依頼をしてみたいなと思われますか。
鮫島:あー、それは息子たちがその時騎乗馬がいなくて空いていたらですね、乗ってもらいたいなってのはありますね。
――今年のサマーチャンピオンでラプタス(JRA)に騎乗し勝利しましたが、乗り替わりでの騎乗決定でした。
鮫島:調整ルームに入っていたので直接話してないんですけど、うちの嫁さんが息子からラプタスの騎乗依頼があると聞いていて、息子は(ラプタス主戦の)幸騎手から聞いたみたいです。
――以前倉富隆一郎騎手がサマーチャンピオンに騎乗して勝ったとき(08年ヴァンクルタテヤマ)は「リーディング上位順に空いてる方で」ということでしたが、今回は鮫島騎手をご指名だったと。
鮫島:そうですね。松永(昌博)先生が俺に騎乗依頼するという話でした。
――調教師を目指そうと決意されたのはいつごろなんでしょうか。
鮫島:だいたい3年ぐらい前から調教師を目指そうかなとは思っていましたね。
――何かきっかけとなる具体的な出来事はありましたでしょうか。
鮫島:いや別にきっかけはないですけど。ジョッキーとしては体力のこともあるし体重のこともあるし、60歳までは無理かなと思いまして、じゃぁそろそろ調教師になろうかなと思ってましたね。
――調教師試験を受けられたのはその年(19年)からですか。
鮫島:受けたんですけど、あっさり落ちちゃって(笑)。
――昨年も受けて、今年が3回目。
鮫島:そうですね。
――調教師として、意気込みや目標というのはありますか。
鮫島:より質のいい馬を入れて、1勝でも多くできるようにですね。また、なるべく故障しないような馬づくりをしていきたいなと思っています。
――九州産アラブの弥生賞(82年)が騎手としての初重賞制覇。たんぽぽ賞、霧島賞を計7勝と、九州産限定の重賞を多数勝たれていますが、調教師として九州産を手がけてみたいというところは。
鮫島:それはありますね。九州産馬でも今年ヨカヨカ(北九州記念勝利)みたいな、あんないい馬が出るので、九州産でもいい馬育てたいなという気持ちはあります。
――今回ベテラン騎手3名が一度に引退され、佐賀の世代交代も進むと思われます。近年飛田愛斗騎手ら若手の活躍も目立ちますが、彼らに向けてのメッセージをお願いします。
鮫島:今は若い子は騎乗馬にも恵まれて、非常に多く乗れるんで、そこに満足しないで自分で努力して、1つでも勝てるように頑張って欲しいですね。
――以前の佐賀は新人騎手がデビューしても1か月ぐらいは乗せてもらえませんでした。
鮫島:自分がデビューしたころは(新人騎手の)減量もなかったですから、もっと全然乗せてもらえませんでしたからね。
――ファンの皆様に向けてのメッセージをお願いします。
鮫島:今まで42年間応援してもらって、本当に感謝しております。調教師になって馬を育てていきたいので、これからも応援よろしくお願いします。