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JBCクラシック覇者ミューチャリーの足跡(Vol.2スタッフ編)


クローズアップ

2021.12.17 (金)

矢野義幸調教師、森久保仁志調教師補佐へインタビュー

モノが違うと思った鎌倉記念

私事ではあるが、司会進行を担当した2019年4月のJRAブリーズアップセールで、ゴッドビラブドミーの17(父カジノドライヴ・牝)が上場されたとき、「本馬の兄、ミューチャリーは、明日の大井競馬、羽田盃で最有力候補」と、紹介した。セリが始まると複数のバイヤーから手が上がったが、落札金額は税抜きで700万円にとどまった。そしてその翌日、ミューチャリーは羽田盃を単勝1番人気の支持に応えて5馬身差で勝利。その日程が逆だったらもっと値が上がったのではないかと思ったのだが、ミューチャリーを管理する矢野義幸調教師も馬主さんと一緒にそのセリに途中まで参加していたそうだ。

河合純二氏に落札されたミューチャリーの半妹はジュンスピードと名付けられ、船橋の張田京厩舎に入り、8月9日船橋の新馬戦を8馬身差で圧勝。ミューチャリーもその前年の8月10日にデビューして、7馬身差で勝利を飾っていた。

「ミューチャリーは1歳の9月頃に見たときに470㎏くらいあって、これは500㎏くらいになるかなと思いましたね」

しかし矢野調教師の予想は外れて、初陣は471㎏。それでも「走る」という予感は間違っていなかった。

矢野義幸調教師(右)と森久保仁志調教師補佐(矢野厩舎にて)

「船橋だと1000メートルのデビュー戦を1分1秒前後で走れたら、クラシックに直結するという感覚がありますね」という時計面の裏付けをもって臨んだ2戦目のJRA認定戦は1600メートル。今度は後方から差す競馬で2着に3馬身の差をつけて勝ち、続く3戦目の鎌倉記念では2着に6馬身もの差をつけた。

「鎌倉記念は勝ち時計の良さもさることながら、4コーナーで前の馬に並んでから一気に突き放しましたからね。あの瞬間に“これはモノが違うな”と思いましたし、勝ったときに受けた感覚も今までとは違うものがありました。2着馬もあの時計なら南関東でオープンを張れますから」

その2着馬はリンゾウチャネル。3歳時に門別で三冠を制し、その後は矢野厩舎に所属してダイオライト記念JpnIIで5着に入るなど、重賞戦線で活躍している。

初めての重賞タイトルとなった鎌倉記念

外枠が災いした2度のフェブラリーS

ミューチャリーのオーナーは石瀬丈太郎さん。「(父の)パイロはオーナーのお父さん(石瀬浩三さん)が好きなようですね。パイロ産駒は気性面が課題ですが、ミューチャリーは気の強さがいい方向に出てくれたと思います」

それでもパイロ産駒らしさは垣間見せていたようで、「厩舎ではよく暴れていましたし、調教では併せた馬に攻撃を仕掛けることもありました」と、森久保仁志調教師補佐が話した。

2歳時は幼い面が抜けていないところがあったのだろう。歯替わりの影響でハミが掛けられなかった全日本2歳優駿JpnIは6着に敗れたが、翌春はすぐに巻き返し。羽田盃を制したあとの東京ダービーは2着、ジャパンダートダービーJpnIは3着だったが、これは末脚を武器とする脚質が災いした形での惜敗。その能力には非凡なものがあるという、矢野調教師の思いは変わることがなかった。

鮮やかな末脚で制した羽田盃

それを行動として示したのが、秋の初戦に選んだ中山競馬場のセントライト記念GII。

「挑戦するにはまだ早いということは分かっていましたが、いずれは通用するはずですし、通用するだけの能力があるとも思っていましたからね」

矢野調教師のチャレンジは18頭立ての12着という結果ではあったが、芝の重馬場で上がり3ハロンが35秒1という推定タイムは、出走馬のなかで2位。「いろいろな経験がつながっていると思います」と矢野調教師は話したが、確かに今の時代に地方所属馬がJRAの重賞に3回も出走しているのは珍しいことだ。

2回目のJRA挑戦は、明け4歳時のフェブラリーステークスGI。

「そろそろ適距離を確立しないと、とは思っていたのですが、それがなかなか掴めなくて。あのフェブラリーステークスGIではイレこんでしまって、さらに向正面でほかの馬に何回かぶつけられたと御神本(訓史)騎手が話していました。外枠が厳しかったのは確かですが、4コーナーでインを突いてもあれだけ離されてしまったことで、ちょっとしたショックがありました」

その結果は11着。大井のモジアナフレイバー(6着同着)、ノンコノユメ(8着)の後塵を拝した。

11着に敗れた2020年フェブラリーステークスGI

それでも休み明けで出走したマイルグランプリは快勝。しかしそのあとは日本テレビ盃JpnIIとJBCクラシックJpnI(大井)で4着、東京大賞典GIと川崎記念JpnIは5着と善戦止まりが続いた。

そして3度目のJRA挑戦となった2021年のフェブラリーステークスGIは、またしても外枠。それでも今度は7着にまで追い上げる健闘を見せた。しかしレース直後の矢野調教師からはなかなか言葉が出ず、ようやく絞り出てきたのが、「外枠がなあ……」。騎乗した御神本騎手は「ここでこれだけの走りができたのなら、南関東では負けていられませんね」と話していたそうだが、「その間にカジノフォンテンが出てきましたからね。ミューチャリーはまだ完成されていないと思ってはいましたが、同時にここまでなのかなと思う部分もありました」と、矢野調教師は2021年の春を振り返った。

帝王賞の悔しさからJBCへ

確かに地元船橋で行われる唯一のJpnI、かしわ記念ではカジノフォンテンが勝った一方でミューチャリーは6着。

「そんな気持ちがあったなか、その次の大井記念を勝ってくれて、そしてあの勝ち方(6馬身差)を見て“まだいけるな”という思いを強くしました」

その次に選んだ舞台は帝王賞JpnI。そこで4着に入ったのだが、その結果には不満を覚えたらしい。

「4コーナーで前の馬に2回ほど突っかかりましたからね。あそこで外に出していたら、もっといい結果じゃなかったのかと、モヤモヤした感覚が残りました」

そういう気持ちになったのも、ミューチャリーの実力を信じていたからこそ。そして矢野調教師は秋の目標をJBCに定めた。

「今年は金沢ですからね。それを考えたとき、ならば白山大賞典からと決めました。たぶんオーナーは、帝王賞の次は東京記念と思っていたでしょうね。賞金はそっちのほうが高いし(笑)。でも休養をはさんでいましたし、東京記念には時間的にちょっと間に合わないということで理解していただきました」

そして向かった金沢競馬場。白山大賞典JpnIIIの日は昼過ぎから強い雨が降り続き、その影響を受けた馬場コンディションは逃げたメイショウカズサに味方。勝ち時計は従来のレコードタイムを1秒1も更新するものになった。

その状況だったが、ミューチャリーは3馬身差で2着。しかし2番手に上がったのはゴール寸前だった。それでも矢野調教師はレース直後に「これならJBCに行ってもいいでしょう」と、即答。白山大賞典JpnIIIで初コンビを組んだ吉原寛人騎手も「逃げた馬を追いかけると自分が苦しくなりますからね。本番は次ですよ」と、力強く答えていた。そのあと「次は御神本騎手に戻るかもしれませんが」と笑いながら付け加えていたが。

しかし矢野調教師はJBCも吉原騎手でと決めていた。白山大賞典JpnIIIのおよそ1カ月後に2度目の金沢遠征。ただ、誘導された厩舎は白山大賞典JpnIIIのときと違う建物だった。

「そこが前回の厩舎に比べると、使い勝手があまりよくなかったんですよね。さらに入っている馬が多いから人の出入りも多くて、落ち着かない馬が多くてスタッフのみなさんは苦労していたようでした」と、森久保さん。ミューチャリー自身も同様で、いつもと違う様子を見せていたそうだ。

それでも「来たことがある」のは大きなアドバンテージ。JBCクラシックJpnIのパドックでは物見をする馬が多くいるなか、出走馬のなかでは小柄な馬体を感じさせない雰囲気で堂々と周回。そしてゲートが開くと3番手に付けた。

「テーオーケインズとオメガパフュームが出遅れたこともあって、あの位置を取ったんでしょうが、乗った経験があるからこそあの位置を取れたんだろうと思いますね。ただ、前にカベがあるといいんだけれどなあ、と思いながら見ていました。それでも一緒にいた金沢の調教師が『いいところを走っていますよ』と言ってくれましたし、向正面に入っても後ろから上がってくる馬がいなくて、外からかぶせられる形にならなかったのもよかった」と、矢野調教師は振り返った。

そして最後の直線に入ると先頭に立ち、猛追してくるオメガパフュームを半馬身差で抑えて勝利。場内は大きな拍手に包まれた。

「みんな喜んでくれて、検量室のおばちゃんたちもみんな拍手してくれて、本当にうれしかったですね」

表彰式が終わると矢野調教師は「次の予定は東京大賞典」とコメントを残した。

さらなるタイトルを目指して

それにしても今年は船橋からJpnIの覇者が3頭。かつても船橋からはマキバスナイパーやアジュディミツオー、フリオーソなど、全国レベルのレースを勝つ馬が多く出現している。

はたしてその理由はなんなのか。矢野調教師にそれを尋ねると、「船橋競馬場は日々の運動も調教もしやすくて、制約があまりないことが挙げられるかな」とのこと。ちなみにミューチャリーは、右回りで運用されている内コースを主に使用しているそうだ。

JBCの戦いを終えて船橋に戻ると短期放牧を経て帰厩。年末の大一番に向けて英気を養っている。ローテーションとしては昨年と同じだが、単勝7番人気で迎えた昨年とは立場が違う。

「パイロの後継種牡馬として送り出すには、もうひとつくらいは(実績が)必要かな。今のままでも勝負になると思っていますし、今の状態をいい意味で維持していければと考えています。JBCがフロックと思われないように、1年の締めとして大きいのを獲らせてあげたいですね」

その言葉に「そうなると来年の春は海外?」と水を向けると、矢野調教師も森久保さんも苦笑い。そんな皮算用の前に、まずは次の一戦へという気持ちでいるのだろう。

ちなみにミューチャリーは6歳となる来年も現役を続ける予定。2001年に創設されたJBCクラシックJpnIは21回目にして初めて地方所属馬が勝利を挙げ、ミューチャリーは歴史に名を刻んだ。これからもその足跡をさらに大きなものにするべく、進化していくことだろう。

取材・文 浅野靖典 

写真 浅野靖典、いちかんぽ