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マンダリンヒーローの挑戦 ~サンタアニタダービー~


クローズアップ

2023.4.12 (水)

初挑戦でも健闘のハナ差2着
 ケンタッキーへと繋がる夢

サンタアニタパーク競馬場も歓迎

「大井競馬場と共に1年ずつ少しずつ積み上げてきたものが、毎年大きくなっていくことを大変喜んでおります。この後もさらにこの交流が深まることに期待しています」

そう話すのは大井競馬場との友好交流提携事業に関わってきたサンタアニタパーク競馬場のピート・シバーレル氏だ。

1935年から始まったサンタアニタダービーはケンタッキーダービーの重要なステップレースとして西海岸カリフォルニア州で大切にされてきた。2019年より友好交流提携事業の一環として、指定されたレースで規定のポイントを獲得した大井所属馬が同レースに出走できるようになったが、初めてこのシステムを使って出走するマンダリンヒーローを歓迎した。

またTCKステーブルを担当するパディー・ギャラガー調教師も、初めて大井競馬場からの遠征馬を受け入れることに喜びを隠せなかった。

「海外の馬が遠征することが少ない時期なので、サンタアニタダービーに遠征してきてくれたことにとても興奮しています。ここのメンバー達も喜んでいますよ」

大井からの挑戦に現地ファンも注目

3月29日にロサンゼルス国際空港に到着したマンダリンヒーローは、空港近くの検疫施設で2日間を過ごしたのち、3月31日にサンタアニタパーク競馬場に到着した。そして3日後の4月3日にはレースで騎乗する木村和士騎手が追い切りを行い、パドックをスクーリング。4月6日にはゲート練習も終え、1日1日環境に慣れながらレースを迎えつつあった。

「出走することが決まってからはずっと左回りで調教をしてきました。こちらで調教する前提で小林牧場でも調教してきましたので、問題なく順応してくれています」

そう話す藤田輝信調教師は追い切りで4ハロン53秒3を出した馬場についてこんな感想を述べた。

「馬場はそんなに変わらないように思いますけど、実際に時計を見るとものすごく速いのでちょっと固いのかな。でも、見ている分にはそんなに変わらないと思います」

そしてレースに向けて次のように話した。

「10時間以上のフライトと48時間の空港検疫があって大変だったと思いますし、想定していた以上のこともありましたけど、マンダリンヒーローはタフでそれを全部乗り越えてくれました。いい状態で使えるのではないでしょうか」

一方、木村騎手もレースに向けて次のように意気込みを語った。

「近年、日本馬は海外での活躍が目覚ましいですが、JRAだけに限らず、地方競馬から海外挑戦してくれたことを大変嬉しく思います。初めての長距離輸送、左回りと未知数の部分も多いですが、ここで結果を残して次につながるよう精一杯頑張ります」

そんなマンダリンヒーローを応援する声は、レースが近づくに連れて米国で大きくなっていった。サウジカップ、ドバイワールドカップ、さらにはUAEダービーと立て続けに日本馬がダートで活躍したことで到着当初から注目をされていたのだが、米国の競馬情報誌で、ある記事が掲載されると、マンダリンヒーローにアメリカンドリームを重ね合わせる人が増えていったのだ。それは大井競馬場所属馬でケンタッキーダービーポイントの対象レースに出走する機会に恵まれず、このサンタアニタダービーでポイントを稼がなければケンタッキーダービーに出走ができないという記事だった。この話に米国のホースマンや競馬ファン達は心を奪われた。だが、応援と馬券は別物。サンタアニタダービーの上位人気は米国馬3頭で固められ、マンダリンヒーローは少し離れた9.1倍の4番人気に止まる。

断然人気馬を追い詰め2着

レース前、米国の馬達はスタートが速いこともあり、じっくり前を見ながら最後の直線に賭けるレースをイメージしていた藤田調教師だったが、ある程度出して行って米国の馬達についていかないと馬がやる気をなくしてしまうと考え「無理をしてでもついていった方がいい」と話す木村騎手に乗り方を一任した。そのために大事なのはスタート。木村騎手はこの点を気に掛けていたが、返し馬でマンダリンヒーローが自らハミを取っていったことでその不安は払拭される。

そしてスムーズなスタートを切ると、すんなり1番人気のプラクティカルムーヴと2番人気のナショナルトレジャーの後ろにつけてレースを進めていった。レースが動いたのは3コーナー付近を過ぎてからだった。

「ちょうど前の馬がプラクティカルムーヴで、外を見た時にナショナルトレジャーはもう追い出していて手応えがなかったので、このままついていった方が内を確保できるかなと思いました」

そう判断した木村騎手は内ラチの空いたスペースをついて進出していく。これもまた「どこかで内に入れたい」と考えていた木村騎手のイメージ通りだった。

だが、米国の馬達も日本馬の好きなようにはさせてくれない。直線を向いたところで、プラクティカルムーヴが内に切れ込み、外からスキナーがプレッシャーを与えてきたのだ。しかし、それに怯むことなく、マンダリンヒーローは一完歩ずつ脚を伸ばしていく。結果はハナ差2着だったが、勝ったプラクティカルムーヴに騎乗していたラモン・ヴァスケス騎手が木村騎手に「おめでとう」と声を掛けてしまうほど勝ち馬をギリギリのところまで追い詰めた。

この瞬間、藤田調教師、堀田優志厩務員、そして新井浩明オーナーをはじめ、この遠征に関わってきた人達は、感動のあまり涙が止まらなくなった。その姿も相まってだろう。マンダリンヒーローと木村騎手がスタンド前に戻ってくると大きな歓声と拍手の嵐となった。その光景は勝ち馬の存在が忘れ去られてしまうほど。今年のサンタアニタダービーの主役は間違いなくマンダリンヒーローだった。

夢はケンタッキーへ

「ケンタッキーダービーに行きましょう!」

新井オーナーが第一声を上げた。レース前に「歌(マイ・オールド・ケンタッキー・ホーム)を歌う練習はしていますよ」と冗談交じりに話していた新井オーナーの言葉は現実のものに変わった。もちろんその言葉に藤田調教師、堀田厩務員、そして木村騎手も頷いていた。

数時間後、藤田調教師にケンタッキーダービー出走について話を伺った。

「生産、育成……本当に日本の競馬界のレベルが上がっていると思いますので、今後もどんどん海外に挑戦して行きたいですし、周囲にも行って欲しいという気持ちです。今回、皆様には色々とサポートにしてもらいまして本当に感謝しております。ケンタッキーダービーは距離が伸びて、(マンダリンヒーローにとって)よりいい走りができると思いますが、また強いメンバーが揃うと思いますので勝てるように祈りながら頑張りたいと思います」

木村騎手にもケンタッキーダービー出走について話を伺った。

「ゴールした後に勝ったジョッキーが『おめでとう』と言ってきたので勝ったと思っていたのですが、掲示板を見たら『負けているやん』って。でもケンタッキーダービーでは着順が入れ替わると言いますか、自分が1着を取れるように頑張ります。そんなに掛かるとか折り合いで苦労する馬ではありませんのでスムーズに出して行って、それこそ人気馬の後ろを取れたら、もうちょっとケンタッキーダービーでは面白いのではないかなと思います。ただ参戦するだけでなくて上位に食い込む、もしくは勝てるレースをしたいと思います」

サンタアニタダービー2着のケンタッキーダービーポイントは40ポイント。例年ならば出走がほぼ可能なはずの数字だが、今年はこれでは補欠。回避する馬次第で出走できる可能性はある。まずはケンタッキーダービーに出走することを前提にケンタッキー州へと向かい、吉報が届くのを待つこととなった。

レース後、厩舎に戻る藤田調教師には米国のホースマン達が祝福の言葉をかけて握手やツーショット写真を求めた。ジョッキールームに戻った木村騎手にも次々と騎手仲間が祝福の声をかけて肩を叩いていく。米国のホースマンにとってケンタッキーダービー出走は特別なもの。米国に出向き、その切符を自らの力で手に入れようとする姿にマンダリンヒーローとその関係者を応援する声はますます大きくなっていった。

その声は私のような日本人メディアにも掛けられた。客席ですれ違う度に呼び止められては「マンダリンヒーローは、当然ケンタッキーダービーに出走するのだろう?」と同じ質問を受けた。その問いにまだ補欠であることを伝えると、昨年、補欠から繰り上がってケンタッキーダービー馬となったリッチストライクの名を挙げてこう言ってくる。

「きっと出走できる。そして優勝するよ!」

サンタアニタパーク競馬場でTCKステーブルが開設されてから5年。初めて実現した大井競馬場所属馬のサンタアニタダービー出走は、さらに大きなステージへと向かいはじめた。

取材・文・写真 森内智也