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前人未踏の地方通算4000勝 角田輝也調教師(愛知)インタビュー


クローズアップ

2023.4.27 (木)

地方競馬の調教師として通算最多勝記録を更新し続けている角田輝也調教師(愛知)が、4月13日の名古屋競馬第7レースをミッキーキングで勝利し、地方競馬通算4000勝に到達(1万6559戦目)。競馬との出会いから現在まで、そして競馬に対する想いをうかがいました。

負けず嫌いで到達した4000勝

――地方競馬通算4000勝達成、おめでとうございます。ものすごい数字ですが、ご自身ではどう感じていますか?

ありがとうございます。1つ1つ積み上げた結果で、開業から気づけば4000勝もさせていただきました。頑張ってくれた馬たち、信頼して預けてくれたオーナーの皆さま、厩舎スタッフやジョッキーたち、たくさんの方々のお陰です。

――4月13日名古屋第7レースで達成されましたが、意識していましたか?

通算の数字を目標にはしていないのでそれほど意識はしていなかったのですが、周りからは言われました。レースの時はゲートに行っていたので、厩務員と一緒にバスに乗って見ていたんですが、ゴールしたら周りから「おめでとう!おめでとう!」と言っていただいて。検量前に着いてバスを下りたら、みんながワーッと祝福してくれて、ちょっと恥ずかしかったです。

――レースの時は常にゲートに行っていらっしゃいますね。調教師の方で毎回ゲートに行くというのは、珍しいのではないでしょうか。

最近は若手の調教師もゲートの悪い馬の時に来ていることが多いですよ。私の場合はほぼ100%行っています。性格的に現場にいるのが一番落ち着くというのもありますし、毎回ゲートの後ろで尾持ち(地方競馬のみで認められているルール。調教師や厩務員が、ゲート扉の後ろから尾を持つ)をするんですけど、尻尾から愛馬の様子が伝わってくるんですよ。どういう枠入りをして駐立はどうなのか、そこからどういうスタートを切るのか。それを次のレースの参考にしています。

――そういう細やかな気遣いが、4000勝という数字に表れているんですね。

その馬1頭1頭に合ったやり方があって、確実な正解はないですから。レースが終わった瞬間から、次のレースに向けての調整が始まっているんです。勝ったとしたら、なぜ勝てたのか。偶然だったのか、必然だったのか。負けた場合はなぜ負けたのか、相手が強かったで終わらせてしまったらそこまでですから、どうやったらその強い相手を負かせるかを考えるのが私の仕事だと思っています。

――なぜそういうお考えになったのですか?

それは負けず嫌いだからです(笑)。どうしたら勝てるのか、そのためには何が必要か、とにかくずっと競馬のことを考えていますね。

24歳で競馬の世界へ

――改めて競馬との関りから伺いたいのですが、競馬の世界に入ったきっかけはどんな形だったのでしょうか。

もう亡くなってしまいましたが、父が競馬が好きで馬主だったんです。笠松競馬場に馬を入れていて、よく競馬場についていって馬を触ったり乗せてもらったりしていました。今は競走馬の取り扱いは厳しいですけど、昔は大人しい馬にちょこっと乗せてもらったりして。子供心にすごいなと思って、小学校3年生の頃には騎手になりたいと考えていました。でもすぐに身長が伸びてしまって、騎手は難しいなと。小学校6年生の時の卒業文集には、「日本一の馬を作る」と書いていました。中学・高校と進学するうちに馬からは離れて、いろいろなスポーツやいろいろなことにチャレンジしましたが、結局なにをやっても1番にはなれませんでした。大学に入って一般の会社に就職して、淡々とした生活を送っている中で、心の片隅にはずっと競馬があったんだと思います。まだ間に合うだろうかと悩みながら、父の紹介で朝の3時に名古屋競馬場に見学に行った時、雨が降る中で厩務員さんが一生懸命に仕事をしている姿を見て、カッコ良くて感動したんです。それで24歳の時に会社を辞めて、名古屋競馬場で厩務員になりました。

――子供の頃から競馬の世界に憧れていたとはいえ、一般の会社からの転職というのは大変なことも多かったのではないでしょうか。

当時は調教師も騎手も厩務員も、豪快でやんちゃな方が多かったですから、最初はやっていけるだろうかと不安もありました。馬に関しては全くの素人で、いろいろな先輩方に教えていただきました。厩務員の仕事は知れば知るほど深くて面白かったです。だんだんと自分自身で馬を育ててみたいと思うようになって、調教師を目指しました。当時の内規で厩務員5年、調教師補佐3年という経験を積んでから調教師試験が受けられたので、そのルールに従って2度目の挑戦で合格しました。

わずか4年で名古屋リーディングに

――開業した当初(1999年1月17日初出走)はいかがでしたか?

お恥ずかしいのですが、無鉄砲で世間知らずでしたから、最初のインタビューで「3年でリーディングを獲ります」と言ってしまったんです。その時は先輩方から生意気だと散々言われましたね。それなのに馬が全然集まらなくて。厩務員が3人いたのに馬が6頭しかいなくて、基本的には1人3頭持ちがベースですから給料を払うと完全にマイナスなんですよ。さてどうしようかと。目指すのはどこなのか、そのために自分はなにをすればいいか考えた時に、当時ご存命だった笠松の荒川友司調教師(主な管理馬:ワカオライデン、ライデンリーダー)や船橋の川島正行調教師(主な管理馬:アジュディミツオー、フリオーソ)のところで研修させていただきました。言葉よりも、自分の目で見て感じることが重要なので、受け入れてくれた先生方にはとても感謝しています。

――そして4年で名古屋リーディングを獲りました。

1年遅れてしまいましたが(笑)。私もがむしゃらでしたし、スタッフも私の気持ちに応えてくれて一生懸命やってくれました。もちろん頑張ってくれた馬たち、新人の私に預けてくれたオーナー、騎手や周りの方々のお陰です。ただ私は経営者ですから、みんな仲良しこよしというだけでは成り立たない。ある一定の距離感は必要だと思っています。その中で、何かあった時は俺が助ける、ということは態度で示しているつもりです。調教師は孤独との戦いという面もある職業ですね。

――2005年から5年連続で全国リーディングに輝き、2009年からNARグランプリでの調教師賞が部門別の表彰となって、最優秀勝利回数調教師賞を4度受賞されています。

正直、一回獲るまでは獲りたい気持ちがありました。でもやはり数字を追いかけると、どうしても馬に無理をさせてしまう場面があって……。自分で振り返ってみて、こういう調教師になりたかったのか?違うよなと。サラブレッドはまず生まれて来た時に生産者の方から愛され、育成時に携わった方に愛され、みんなから愛情をいただいて育ってきた仔なんです。きれいごとを言うつもりはないですが、元気だけど脚の遅い仔もいるし、脚は速いけれど体力がない仔もいる。オーナーの意向もありますし、ただ脚が遅い、という一言で片づけてはいけないなと。「そこを頼むよ先生」と言われてなんとかするのが調教師ですから。手をかけて結果が出た時が一番嬉しいです。

――数字のことばかり伺って恐縮ですが、2020年8月には雑賀正光調教師(高知)の勝ち星を抜いて、地方競馬歴代勝利数第1位に立ちました。そこからはずっと記録を更新し続けています。

雑賀先生はすごい方で、馬のことも脚元のこともとても詳しくて尊敬しています。雑賀先生と私の数字を比べても、戦っている場所が違いますから。全国の競馬場それぞれで状況が違うので、勝ち星だけでは計れないですよね。たまたま名古屋でこれだけ勝たせてもらっているからといって、全国1位ではないんです。もっとすごい先生、尊敬している先生はたくさんいて、大海に出れば簡単には通用しないですから。数字に捕らわれないというのはそういう意味です。

名古屋を日本一の競馬場に

――どうしても数字は言われてしまうと思いますが、今後の目標はどこに置いていますか?

インタビューとかではやはり出した方がいいかなと思って、5000勝ということは言いますけど、一番はJRAに遠征して勝ちたい、1頭1頭のオーナーと真摯に向き合って喜びを分かち合いたい、ファンの方に名古屋って面白いと思ってもらいたい、というところですね。この気持ちが支えになっています。自分自身はいつまでもチャレンジャーでいたいですし、向上心を持って進んでいきたいですね。実は昨年、20数年ぶりに体重を絞って馬に乗り始めたんです。みんなの前で、「岡部(誠騎手)を負かすのが目標」と公言したら笑われましたけど、有言実行です。つい先日、私がオープン馬に乗って、岡部君がC級の下の方の馬に乗ってゲートから出すという調教をした時、さすがにこれなら勝てるだろうと思っていたら、ゲートが開いた瞬間に岡部君は5馬身も前にいました。騎手ってすごいなと改めて思いました。

――名古屋競馬は昨年移転し、ナイター開催も始まりましたね。

新しい競馬場になり、ナイターも始まったことでこれまで以上にファンの方々に注目していただけたことは嬉しく思っています。ただ長い目で見てもっと先のことを考えていかないといけない。今まで地方競馬は昼間に開催する場所が多かったけれど、それだけでは売り上げが下がって行って、今度はナイターをする競馬場が増えました。(移転後の)名古屋は他の主催者がナイター開催をしていない日を狙ってナイターをしているわけですが、それにも限界があると思います。これからさらに世の中の方々がいろいろな娯楽を楽しんでいく中で、公営競技は売り上げが下がってしまう可能性があります。私は長年お世話になって育ててもらった名古屋競馬を日本一の競馬場にしたいと思っていて、そのためにはどうすればいいのかと考えた時、本来私が考えることではないのですが、昼間、薄暮、ナイターで競馬を開催している中、ミッドナイトをしている競馬場はまだないので、名古屋を一番最初にミッドナイトができる競馬場にしたいと考えています。環境的にはできないことはないと思いますし、あとは主催者と関係者のやる気でしょう。こういうことを言うと批判もありますが、それでも一歩前に踏み出す勇気を持ちたいです。

取材・文 赤見千尋

写真 いちかんぽ、NAR