今年の2歳戦からスタートする『全日本的なダート競走の体系整備』。地方競馬各地区ごとのダービーを頂点としていたこれまでの競走体系が大きく変わる。中央・地方を合わせた全日本的なダート適性馬の目標となる頂点を東京ダービーとして、新たなダートのクラシック三冠が構築されることになった。4月下旬の『羽田盃』(1800m)、6月上旬の『東京ダービー』(2000m)、そして10月上旬の『ジャパンダートクラシック』(2000m)。いずれもJpnIのダートグレード競走として大井競馬場で実施される。
ここでは、南関東三冠目として、また中央も含めた3歳ダートの頂点として25年の歴史を刻み、今年でひと区切りとなるジャパンダートダービーを振り返る。
25回の歴史を刻んでピリオド
南関東クラシックは、春の羽田盃、東京ダービー、そして1964年秋に東京王冠賞が創設され、中央の三冠を模したヨーロッパスタイルで始まった。東京王冠賞は菊花賞をイメージして2600mの長距離で実施された時期もあった。
96年には、東京王冠賞が東京ダービーの前に移され距離も2000mに短縮(のち1800m)。羽田盃、東京王冠賞、東京ダービーと三冠が春に行われるアメリカスタイルとなり、秋には中央と交流のスーパーダートダービーが新設された。
そして99年に交流GIとして第1回ジャパンダートダービーが7月に創設されると、羽田盃、東京王冠賞、東京ダービーに加え、南関東クラシックは四冠が春に実施される過酷な時代となった。同時にスーパーダートダービーは南関東限定のスーパーチャンピオンシップと改称されたが、東京王冠賞とともに2001年を最後に廃止。以来、02年からは羽田盃、東京ダービー、ジャパンダートダービーが南関東の三冠として現在まで続いてきた。
今年7月12日に実施される第25回ジャパンダートダービーが、そのレース名で行われるのは最後。24年から三冠すべてがダートグレード競走になることで、地方馬にとってはハードルは上がる。ジャパンダートダービーの過去24回を見ると、中央馬18勝に対し、地方馬はいずれも南関東所属馬が6勝という結果である。
第1回は快速オリオンザサンクス
第1回(99年)ジャパンダートダービーは、オリオンザサンクス(大井)が逃げ切り、地方馬の優勝から始まった。ホッカイドウ競馬でデビューしたオリオンザサンクスは2歳秋に栄冠賞を勝ち、6戦4勝の鳴り物入りで大井・赤間清松厩舎に移籍してきた。緒戦を全日本三歳優駿(現・全日本2歳優駿)に決めたはいいが、「調教がまともにできない」という課題を抱えていた。道営時代には誰もまだ馬場入りしていない深夜のうちに調教が行われていたというから相当な問題児でもあったのだろう。オープン馬の宝庫だった赤間厩舎の中でもハシルショウグンやジョージモナーク等を手がけて重賞20勝以上している腕利き厩務員の関喜一さんに託された。関さんはパートナーに早田秀治騎手を選んだ。
トレーニングが始まったが、馬場の中でいったんスイッチが入ると暴れてロデオ状態。全日本三歳優駿は初めて走る左回りとあって、コーナーを回りきれず大きくふくれてしまった。クラシックを意識して陣営は時間をかけた。まずは角馬場で慣らしてだんだんと内コースに出し、追い切りの時だけ本馬場といわれる外コースで調整を重ねた。
「乗ってるときは常に折り合いとの闘い。でも結局、レースで折り合いがついたことは一度もなかった。スタートが速いんじゃなくて、二の脚がとにかく速い。最初のコーナーに向かいながらグングン加速スピードをあげていく。この速さは自分がいろいろ乗ってきた馬の中でも抜群だね」と数々の名馬の背中を知る早田騎手はオリオンザサンクスの気性と向かい合った。
東京王冠賞が春に移行して1カ月ごとに四冠を戦わなければならない過酷なクラシック。羽田盃、東京ダービーと逃げ切って二冠馬となり、東京王冠賞は先手を取れず3着に敗れたが、堂々ジャパンダートダービーへと向かった。グングン引き離して向正面では15馬身ほどの差があっただろうか。その大逃げにスタンドはドッと沸いた。3コーナーを回っても後続との差はまだ10馬身。脚いろが鈍った頃にはすでにレースは決着していた。「抑えているうちに手が痺れてしまったよ。最後の200mでパタッと手応えがなくなって、いやあ、もう、いつ捕まるかと思った」と早田騎手。稀代の個性派は時代の先駆者でもあった。
過酷な四冠制覇トーシンブリザード
2001年の第3回まで、前述のとおり南関東では春に四冠があった。その四冠を唯一勝ったのが01年のトーシンブリザードである。
「厩舎を開業したばかりで馬房は5頭。あの馬がいなかったら、俺は調教師をやっていけなかったかもしれない。助けてもらったなあ」と佐藤賢二調教師が話していたのを想い出す。「入厩した頃は体質が弱くて、乗り込むとすぐ熱発してしまう。新馬戦も石崎(隆之)は別の馬に乗ってこっちは秋田実。ガチガチ人気の馬をあっさり交わしちゃった。石崎に変わった2戦目のレースも只者ではない走りだった」と、トーシンブリザードはデビューから無敗の8連勝でジャパンダートダービーを制した。
先行でも差しでも自在な立ち回りで全日本3歳優駿(現・全日本2歳優駿)も、前哨戦の京浜盃も、羽田盃、東京王冠賞、東京ダービー、そしてジャパンダートダービーは逃げ切り勝ちを果たした。
しかし代償は大きく、第2指骨骨折、第1種子骨にもヒビが入っていることが判った。「見えない負担があったんだろうな。ゴールまであと少しってところでこれまでしたことのない尻尾を振る仕草を見せた。あのあたりで苦しかったのかもしれない。古馬になってかしわ記念も勝ってくれたが、その後も骨折や、蹄にツノが出てすっかりリズムを崩してしまった」とふり返った。重賞50勝の名伯楽は第19回(17年)の優勝馬ヒガシウィルウィンも手がけた。
歴史にも血統にも名を残すダート最強馬
全国の3歳馬によって数々の熱戦が繰り広げられたなかでも印象深い中央馬たちのレースがある。第4回(02年)のゴールドアリュールは武豊騎手を背に絶好のスタートを切った。前走は日本ダービーで5着。異例のダート出走に思えたが、最後方から猛追したインタータイヨウを振り切り、7馬身差をつけ余裕で逃げ切ったのである。ダートの適性ありと見込んでの出走であり、その後はダービーグランプリ、東京大賞典、フェブラリーステークス、アンタレスステークスを勝ってダート界を席巻。種牡馬になってからもエスポワールシチーやコパノリッキーを輩出し、そのダート適性は種牡馬になった子供たちによっても脈々と繋げられている。
第7回(05年)の優勝馬カネヒキリのレースもインパクトがあった。武豊騎手を背に抑えきれない手応えで好位でじっと構える前半。向正面から馬なりで上がっていくと先頭に立ち、直線は引き離すばかりだった。ちなみに3着には後方から直線インを伸びてきた的場文男騎手とボンネビルレコードが飛び込んだ。
惜しくも涙を飲んだ最強馬
人気を集めながら涙を飲んだ馬もいる。第6回(04年)に出走したアジュディミツオーはデビューから東京ダービーまで圧倒的なスピードで無傷の4連勝。「気性が気性なんで馬運車の中で暴れるんではないかと輸送を心配していたんですがまったく動じない。初めての馬場にもビクともしない。普段はあんなにヤンチャなのに競馬となるとスイッチを切り替えるんでしょうかね。若馬だというのにレースに向かう集中力に驚かされました」と藤川伸也厩務員。東京ダービーをあっさり勝って期待は膨らんでいた。軽快に逃げたように見えていたが、結果は直線伸びを欠いて4着。というのもアジュディミツオーの弱点は暑さ。のちのダート王もまだ成長期で、予想以上の猛暑にダメージは大きかった。
第16回(14年)のハッピースプリントも悔しさを味わった。ホッカイドウ競馬でデビューし、全日本2歳優駿を勝ってそのまま大井の森下淳平厩舎に移籍すると、描いた通り順調に緒戦の京浜盃をクリアし、羽田盃、そして東京ダービーも4馬身差をつける快勝で、残る三冠目に駒を進めた。それまでの二冠同様に金沢の名手、吉原寛人騎手を配し、スタートすると絶好の手応えで3番手のポジション。レースが動いた3コーナーからじわりじわりと前に並びかけ、あとは抜け出すだけ。そう思われたところで前半最後方にいたカゼノコが猛追し、並んでゴール。わずかハナ差ながら三冠をつかむことができなかった。
勝ち馬には印象的なドラマも
こうして四半世紀の歴史を振り返ってみるとレースの数だけドラマがある。
NARグランプリで通算4度、年度代表馬に輝いたフリオーソだが、クラシックの頃はまだ成長途上。適性を見極めるため芝に挑戦したり、ソエも解消しきれずにいた。羽田盃3着、東京ダービー2着と一歩及ばないままジャパンダートダービー(第9回、07年)で中央勢を迎え撃つことになったが、今野忠成騎手を背に向正面一気に先頭に立つ強気な競馬で封じ込めた。そして、ここから地方競馬のトップホースへと駆け上がったのである。
競馬はゴールするまで何があるか分からないから面白い。その醍醐味を堪能させてくれたのが記憶に新しい第23回(21年)、キャッスルトップの逃げ切りだ。「競馬には夢があるね」と渋谷信博調教師の声が聞こえた。12番人気でノーマークだったこともあって、仲野光馬騎手を背に逃げても追いかける馬はいなかった。調教でも乗り難しいキャッスルトップをジャパンダートダービーでどう乗るか、大舞台での経験が浅い仲野騎手はペース配分を含め、何パターンも考えてレースへと向かった、と後日ご本人から聞いた。繁殖牝馬4頭の城市公さんの牧場で生まれたバンブーエール産駒。それを息子の幸太さんが担当厩務員として仕上げ、補欠5番目から繰り上がっての出走。いくつもの関門をくぐり抜けた夢のある勝利だった。単勝1万2950円はジャパンダートダービーの史上最高単勝配当である。
四半世紀のドラマを締め括るのは
さて、まもなく25回目のジャパンダートダービーがやって来る。南関東では蹄不安で休んでいたミックファイアが5カ月ぶりの実戦で羽田盃を6馬身差圧勝。東京ダービーでもまるで再現を見ているようなレースぶりで、またしても6馬身差で戴冠し二冠達成。無敗5連勝の走りで、実績馬たちを骨抜きにしてしまった。抱える蹄不安を考えた調教メニューで順調に調整を進めているというミックファイア。中央馬相手にどんな競馬をするのだろうか。最後のジャパンダートダービーを勝って、トーシンブリザード以来の三冠馬が誕生するのか、期待は膨らむばかりだ。














