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唯一無二の四冠馬として名を刻むトーシンブリザード


REWIND 00's

2024.07.25 (木)

新世紀を前に南関東三冠が大きく見直されたことがあった。

1996年には、それまで羽田盃、東京ダービー、秋の東京王冠賞で〝三冠〟として紡いできたものを春に三冠すべてを実施するアメリカンスタイルへと移行。羽田盃、東京王冠賞、東京ダービーという順に変わった。

さらに1999年にはダートグレード競走のジャパンダートダービーが新設。2001年を最後に東京王冠賞が廃止となり、三冠レースは羽田盃、東京ダービー、ジャパンダートダービーとして行われてきた。新たにダートグレード競走によるダート三冠が確立された2024年以前の話だ。

南関東クラシックの歴史にただ一頭〝四冠馬〟と称される馬がいる。三冠に加えてジャパンダートダービーも制し、無敗の四冠馬として頂点を誇ったトーシンブリザードである。

2000年9月21日、父デュラブ、母ユーワトップレディの血を継ぐ鹿毛馬がデビューの日を迎えた。この新馬戦では能力試験で50秒という1番時計を出したゴールドワンが出走し圧倒的人気を集めていた。

「評判馬の方に石崎(隆之)が乗って逃げて、うちの馬に秋田(実)が乗って2番手にいたんだが、ゴールまであと100mくらいでスッと交わしちゃった。前の馬が一杯になったからそれで勝ったんだろうくらいに思っていたら、時計を見てビックリ。タイムは1分00秒8。当時にしては破格に速いタイムだったからビックリしたよ」と佐藤賢二調教師がそう語っていた。

佐藤調教師が驚くのも無理はない。トーシンブリザードは5月生まれだったこともあって、馬体の育ちが遅く、中央や南関東から幾人もの調教師が牧場に馬を見に来たが、なかなか買い手が見つからない馬だった。

「浦河に違う馬を見に行ったついでにブレイヴェストローマンの肌で何かいい男馬はいないかと探していたら、『小さいけど良い馬がいる』というので牧場に寄ったんだ。トモの付きとか全体の流れが良くて、俺なりに好きなタイプの馬だったから引き受けることに決めた」と見初めたあの日を振り返った。

育成場を経て厩舎にやって来たが、風邪をひいて体温が安定しない状態が続いた。

「仕上がるのに3ヶ月かかったね。その頃は(石崎)駿がうちの厩舎に下乗りでいたからしばらく乗せていたが、歩様も今ひとつ。とりあえず能力を受けてから様子を見ようということになった」と能力試験は合格したものの牧場にUターン。デビューは秋まで延びた。

「だから新馬戦で驚いたんだよ。歩様からしてもあんなに化けていくとは思いもしなかった。うまく行けばB3程度かなって。この馬には良い意味で裏切られっぱなしだったよね」と佐藤調教師は笑った。

予定していた2戦目のレース前に熱発して回避。間隔をあけて向かったのは川崎戦。圧倒的1番人気のロイヤルエンデバーが相手だった。2戦目から手綱を取ったのは石崎隆之騎手だ。

「休み明けのわりに『芯』がある馬だなと感じた。ひょっとして全日本3歳優駿(現在の全日本2歳優駿)でも面白い競馬するかもしれないなってね」と言う石崎騎手の言葉通り、トーシンブリザードは全国の強豪相手に3歳チャンピオンに輝いた。

「先行した2頭(2着はロイヤルエンデバー)で決まったがスローで後ろを封じ込めるレースをした。凄かったのは次の京浜盃だよ。出遅れてケツから直線だけで勝っちゃった。力も相当ついてきてるのがわかったし、次の羽田盃はこのまま状態さえ維持していれば負けないだろうとあのレースで判断できた」と石崎騎手は確信して堂々クラシックに向かった。

アメリカンスタイルに移行したことで羽田盃、東京王冠賞、東京ダービーが1ヶ月ごとに実施される過酷なクラシック。さらに翌月にはジャパンダートダービーが控えていた。

「どこからでもレースできることは強味。揉まれる競馬もできる。今年のメンバーなら勝負になると踏んだ。俺はどちらかといえば新聞記者に聞かれて控えめなコメントしかしないんだが、心の中ではかなり自信を持っていたんだよ(笑)」と佐藤調教師は思い出したように目を細めた。

2001年7月12日に実施された第3回ジャパンダートダービー。陣営は確固たる自信をもって送り出したように、史上初の四冠馬誕生なるかとファンの期待値も高く、圧倒的1番人気に推された。

あっさり先手を取ったトーシンブリザードが軽快に飛ばす。佐賀から参戦したマキノヒット、ケント・デザーモ騎手が手綱を取るゴッドラヴァーと続いた。3コーナーでは後方にいたJRAのカチドキリュウやバンブーシンバも追い上げてきたが、トーシンブリザードの手綱はまだ動かない。直線に入って何度もふり返る余裕を見せながらようやく追い出しに掛かると最後は1馬身半後続を振り切ってワンサイド勝ち。影を踏ませなかった。

こうして誕生した無敗8連勝の四冠馬。しかしながらまだ成長期にあった馬体は疲労がピーク。

「ゴールまであと少しってところで、これまでしたことのない尻尾を振る仕草を見せた。あのあたりで苦しかったのかもしれない」(佐藤調教師)と第2指骨骨折が判明した。

幸いにも軽症で年内には復帰し東京大賞典で3着を、翌2月にはフェブラリーステークスに挑戦し、ここではアグネスデジタルに直線迫ってコンマ2秒差の2着と善戦した。

ところが、4歳の春を迎える頃にはノド鳴りが音を大きくするようになり、かしわ記念でインテリパワーを破ったのが生涯最後の勝利になった。左の蹄のなかに角のような瘤ができる病気を発症し、さらなるピンチがトーシンブリザードを襲ったのだ。

治療のため牧場を転々とするかたちになって1年半の休養。レースには復帰したが、馬体のバランスを崩してしまい、再びスポットライトを浴びることのないまま競馬場を去った。

「トーシンブリザードは俺を男にしてくれた馬。種牡馬で成功させたかったが、どうも精虫数が少ないらしくてね、初年度で9頭つけて生まれたのは2頭だけだった」と不運は続き、早々に種牡馬を引退。その後は余生を過ごしていたが、2020年に他界した佐藤賢二調教師を追うように翌年に旅立った。

◆第3回ジャパンダートダービー 競走成績

 

協力:TCK(東京シティ競馬)
映像:山口シネマ
実況:耳目社

中川明美

写真いちかんぽ

中川明美(なかがわあけみ)

競馬ブック南関東担当記者。
新聞紙面にてコラム『南関こんしぇるじゅ』、週刊競馬ブックで『NANKAN通信』、競馬ブックWEBにて
『南関あらうんど』等を執筆。
週刊競馬ブック南関東S重賞本誌担当。
グリーンチャンネルにて『アタック地方競馬』『ダート競馬JAPAN』に出演中。