早め先頭から5馬身差圧勝
南部杯で地元の期待担う
『青は藍より出でて藍より青し――』。数ある岩手競馬のレース名でも青藍賞はグッドネーミングだと思う。まずは創設目的をお伝えしたい。第1回は1993年8月15日、1着賞金1000万円。当時としては破格の賞金だったのは、3歳(旧4歳)馬の古馬挑戦を奨励するため。
時代背景を振り返れば分かりやすい。3歳馬が古馬重賞へ初挑戦するのは、岩手版グランプリ・桐花賞が定番だった。青藍賞の開催は第2回以降、9月が中心だったが、厩舎サイドには時期尚早の意識が強かった。まずは力をつけ、着実に賞金を稼ぎ、満を持して桐花賞へと向かう。
ダービーグランプリの創設が1986年で、南部杯は1988年。スイフトセイダイが1989年の第4回ダービーグランプリ、グレートホープが1990年の第3回南部杯で、それぞれ地元初優勝を果たしたが、3歳馬の底上げは岩手競馬の重要、かつ最大テーマだった。
第1回青藍賞の優勝はモリユウプリンス。3歳馬はエビスサクラが同4着から、不来方賞1着(当時は地元馬限定)、ダービーグランプリ3着。第2回はブラッククロスが挑戦して3着だったが、古馬とも戦った経験を生かしてダービーグランプリを優勝した。若駒は強い先輩たちに揉まれて強くなる。青藍賞がそれを証明した。
今年、3歳馬はサクラトップキッドが青藍賞へ名乗りを上げた。シーズン当初はレースに集中できなかったが、東北優駿2着から覚醒。続く不来方賞JpnIIのトライアル・やまびこ賞優勝から本番でも6着に善戦。4着フジユージーンに0秒3差まで肉薄した。今回は未経験の古馬重賞のペースに戸惑いながらも、メンバー最速の上がりを使って3着。陣営も今後への手応えをしっかりとつかんだに違いない。
優勝はヒロシクン。2番手キープから向正面で早々と先頭に立ち、5馬身差で圧勝した。今年5月、中央1勝クラスから岩手入り。B1級で3連勝を飾り、岩手古馬の最高峰・一條記念みちのく大賞典へ挑戦。メンバーが一気に強化されたが、鮮やかな逃げ切りを決めた。レース後、佐藤雅彦調教師は、「オーナーがケガで入院中でしたから元気づけの意味もありました。それに中央時代にダート1800メートル以上をメインに使われていたので、2000メートルが合うだろうと挑戦を決めました」
続いてヒロシクンは、マーキュリーカップJpnIIIへ駒を進め、メイショウフンジンの機先を制しハナを主張したが、3コーナー過ぎに失速して13着。クラウンプライドらが相手ではひとたまりもなかった。
その後、福島の牧場でリフレッシュして帰郷。後半戦の始動に青藍賞を選び、堂々の横綱相撲で圧勝。オーナーの瀬谷隆雄さんファミリーが応援に駆けつけ、そろって口取り写真に収まった。
昨年、準重賞・桂樹杯を優勝して、もうひと花咲かせた同じオーナーのキョウヘイもファンが多かったが、ヒロシクンも人気者。ファンからいただいた横断幕を掲げて記念撮影。オーナー家族、佐藤調教師、高松亮騎手も嬉しさいっぱいだった。
最後に聞いた。次走はどのレースを考えてますか――。佐藤調教師は透かさず答えた。「南部杯です。オーナーはお祭りが好きですからね(笑)」
取材・文松尾康司
写真佐藤到(いちかんぽ)
Comment

佐藤雅彦調教師
今日は強かったと思います。いつもはダラーッと勝つ感じでしたが、しっかりと伸びてくれました。前回、マーキュリーカップ後は福島の牧場に移動して夏休みを取りましたが、これで完全リフレッシュできたと思います。休養中もしっかりやってくれて、いい仕上がりで臨めました。次走は南部杯に挑戦します。








高松亮騎手
先生と相談して行けるなら行くし、グランコージーが行けば2番手でもいい。馬のリズムを大事にレースに臨みました。2コーナー過ぎで先頭は早いと思いましたが、馬の気持ちを優先させた結果。ハミを取って行きたい感じでしたからね。今後、幅広い距離で走れる可能性があると思います。