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森泰斗騎手引退、そしてこれから


全国リーディングのまま引退
 たくさんの馬に出会えて感謝

森泰斗騎手(船橋)の引退は突然だった。2024年11月15日に船橋競馬から発表があり、最終騎乗となった同月29日の船橋開催では8戦4勝という固め勝ち。そして12月16日船橋競馬の最終レース前にはウイナーズサークルで引退セレモニーが行われ、多くのファンに“タイト”コールで見送られた。地方競馬通算2万8333戦4448勝(ほかに中央210戦11勝)。年内約1カ月を残しての引退にもかかわらず、この年地方全国リーディングとなり、文字どおりトップジョッキーのままの引退だった。引退に至るまでの思い、そして引退時には語られなかった、今後の進路についてもうかがった。

■現役を続ける選択肢はなかった

――2024年12月16日に行われた引退セレモニーは、多くのファンの方々に見守られ、大変盛り上がりましたね。

森泰斗:本当にありがたいです。想像以上にいろいろな方が来てくれて、ファンの皆様はもちろん、栃木の頃の関係者もたくさん来てくれて、涙を流してくれる方もいたりして…。すごく愛されていたんだなと初めて思いましたし、これまでの27年間を思い出してとても感動しました。

――地方競馬教養センター時代の同期、戸崎圭太騎手(JRA)も駆けつけました。

森:忙しい中で来てくれて嬉しかったです。圭太からは「67期の代表で来た」と言われ、他の同期の思いも一緒に受け取りました。同期とは今でも同期会をしたり、連絡を取り合ったりしています。みんなそれぞれの場所で頑張っているので、自分にとって刺激になる存在です。

2024年12月16日 森泰斗騎手引退式

――大変惜しまれつつの引退となりましたが、改めて理由を教えてください。

森:理由はいくつもありますが、自分の中で心技体が衰えている、ということが大きいです。まず体の部分は、自分が思うような騎乗ができず、この2年くらいは下り坂にいる自分を自覚してきました。10年以上日本一というくらい騎乗回数が多く、特にケガをしたところや、関節などが経年劣化している状態で。いろいろなことを試しましたが、すり減った軟骨というのは元には戻らないと言われました。心の部分に関しては、親交のあったジョッキーが歩けなくなるような大きな事故がありましたし、昨年は2名の命が失われるという大変な事故が起きました。これまでだったらそうは思わなかったのかもしれませんが、改めて危ない仕事なんだと痛感しました。

――騎乗回数を減らして現役を続ける、という選択肢はなかったのでしょうか?

森:いろいろな考え方があって、騎乗回数を減らして現役を続ける道もいいですし、実際にそういう先輩たちを尊敬していますが、僕自身の選択肢にはなかったです。自分の信念として、やる以上は全力でやりたいという想いが強いので。

――11月の船橋開催で引退し、年末まで1か月騎乗なしの状況でも295勝で全国リーディングを獲得しました。もったいないという声も多いですが?

森:そう言っていただけるのはありがたいですし、全国リーディングを取れたことも嬉しいのですが、全盛期の頃は年間400勝近く勝っていたので、だいぶ数字を落としているんです。まだまだトップでやれるぞという感覚があれば、まだやっていますから。自分の中ではいいタイミングで辞めたと思っています。

■一度騎手を辞めての再出発

――では、改めて騎手・森泰斗さんを振り返りたいと思います。競馬関係ではなく一般のご家庭出身ですが、騎手になろうと思ったきっかけは何ですか?

森:中学生の頃にダビスタブームがあって、実家が中山競馬場のすぐ近くだったので、同級生に誘われて自転車で競馬場に行っていました。父は一般のサラリーマンで、ギャンブルが大嫌いな人で……。内緒で行っていたんです。中学2年の時(1994年)、スプリンターズステークスでサクラバクシンオーが勝ったのが衝撃的で。速くてかっこいい馬だなと思って、その辺りから騎手になりたいと思ったのですが、そのまま言うと反対されると考えて、最初は「乗馬をやりたい」と話しました。両親としては、教養の幅が広がっていい経験になる、という感じで始めさせてくれました。

――中学を卒業後、すぐに地方競馬教養センターに入所していますよね?

森:そうです。実はこっそり願書を取り寄せました。最初はJRAの試験を受けましたが、当時は裸眼で0.8以上ないと合格できなかった(現在はコンタクト着用可能)のですが、0.7しかなかったんですよ。でも地方競馬は0.6以上だったので合格できました。

――ご両親にはいつ頃伝えたのですか?

森:受かりました、の段階で言ったら父は大反対でしたね。母が板挟みになりながら、陰ながらサポートしてくれました。父は高校に入るものだと考えていたと思いますが、母と相談して、センターに入所する前の日に父に手紙を書いて、家出同然で入所しました。よく教養センターは辛いと言われますが、僕はそんなに辛いと思ったことがないんですよ。同期とも出会えましたし、楽しかった思い出が多いです。厳しい家庭だったから、そこから離れられた喜びが大きかったのかもしれません。

――教養センターに入所した後、公募で所属調教師を募集したのですね。

森:千葉県出身ですし、最初は南関東の競馬場を希望していました。でも教官から、栃木は騎手が少ないから募集してみたらとアドバイスをいただき、南関東と栃木で募集してみたら、栃木で手を上げてくださった先生がいて、それで所属が決まりました。

デビュー前の森泰斗騎手と同期の戸崎圭太騎手

――足利競馬所属で騎手デビューし、当初から活躍していらっしゃいましたが、突然騎手を辞めてしまったのには驚きました。

森:今思えば子供でしたし、甘かったんだと思います。競馬場は朝が早いじゃないですか。夜中の1時2時から調教が始まるので、朝起きるのが辛くなってしまいました。家出同然で出て来てやっと騎手になったのに、すぐに辞めたなんて父には言えなかったですね。母には伝えていましたが、父には隠していたようでした。騎手を辞めてからは1年くらい、いろいろなアルバイトをしました。パチンコ店やフリーマーケットで古着を売ったり、船橋で厩務員をしたりして。でも何をやっても続かず、このままでは人生がダメになると思い、また栃木に戻って騎手免許を取り直しました。遠回りしましたが、この経験はすごく勉強になったと今でも思います。

――もう一度頑張り出したところで、2003年に足利が廃止、2005年に宇都宮が廃止となりました。

森:当時はまだ若かったですし、廃止ということに実感が湧かなかったですね。廃止が決まってからも毎日調教して競馬もありましたから、淡々と日常をこなしている感じでした。でも宇都宮の最終日になって、セレモニーが始まったくらいに実感が湧いてきて、これで終わりなんだなと。その時にはご縁があって船橋に移籍が決まっていたので、そこでまた頑張ろうという気持ちでいました。

――2005年に船橋に移籍して、しばらくは騎乗数が少ない時期が続きました。

森:当然ですよね。そんなに甘くないです。まだ24歳で実績があったわけではないですし、当時の南関東は若手が地元以外で騎乗する機会も少なかったですから。なかなか浮上のきっかけがない中で、やさぐれていました。毎日の調教は真面目に取り組んでいましたが、精神的に前向きではないし、ちょうどお酒を覚えた頃でもあって、同じような境遇にいる騎手や厩務員と飲み歩いていました。当時のメンバーは、米谷康秀調教師、本田正重騎手、山口達弥騎手。腐っていた時代を共に過ごした仲間です(笑)。みんなそれぞれ立派になりましたね。

■船橋移籍から全国トップへ

――重賞は通算71勝も挙げていますが、初重賞制覇は2010年、荒尾競馬場で行われた霧島賞(テイエムヨカドー)でした。

森:チャンスをいただいて勝つことができて、とても嬉しかったです。その時が29歳ですから、30歳までは本当に大した騎手じゃなかったんです。上手い下手だけではなくて、例えば強い馬に乗せてもらう努力もできていなかったし、人付き合いも上手くなかったですから。なかなか上手くいかない時期が続き、「もう辞めます」と調教師にメールを送ろうとしたんです。でもこれを送ったら本当に終わりだぞと思って。一度辞めたことがあるからこそ、今度こそ本当に終わりだと思いました。そこで辞めるのをなんとか堪えて今があるので、一度辞めたことも無駄ではなかったと思っています。

2010年霧島賞

――浮上のきっかけはどんな要因だったのでしょうか?

森:大井で乗り馬が増えたことが大きかったです。当時、調教師会長をしていた三坂盛雄先生に声をかけていただいて。強い馬もいましたし、三坂厩舎の馬に乗っていたら自然と他の厩舎の馬も集まって来ました。勝てるようになると楽しいし、このクモの糸を辿っていかないと上にいけないぞと思って、そこでマインドが変わりましたね。お世話になった先生はたくさんいますが、三坂先生もそのお一人です。本当に感謝しています。

――そして2013年、ラブミーチャンに騎乗(習志野きらっとスプリント・1着)したことも大きな話題になりました。その年は南関東リーディング3位、全国リーディングは9位でした。

森:まだトップではない時にあれだけの馬に乗せてくれたオーナーには、とても感謝しています。なかなかできることではないと思いますし、僕の見えないところでは反感もあったのではないかと。今思えばあのメンバーでは負けようがないのですが、当時はめちゃくちゃプレッシャーを感じました。実際に騎乗したラブミーチャンはとにかく素晴らしかったです。最初は緊張していましたが、返し馬に行った時にものすごい弾み方をしていて、当時の僕には乗ったことがない馬の力をしていました。短距離の強い馬というのはこういうことなんだと勉強させていただきましたし、その後コパノリッキーにも乗せていただいて(2017年JBCスプリント・2着)、本当に貴重な経験になりました。

――2014年、246勝を挙げて初の南関東リーディングに輝きました。

森:当時は毎日必死で、めちゃくちゃ忙しかったですね。朝の調教もかなりの頭数に騎乗して、レースに乗ってというサイクルで、ほとんど寝る間もないくらい馬に乗っていました。2014年に初めて南関東リーディングを取った時は、全国リーディングではなかったんですよ。開催日数が全然違いますから、それまでは南関東のリーディングが全国リーディングを獲るというのが当たり前で。それなのに自分は4位(1位:田中学騎手276勝、2位:木村健騎手274勝、3位:川原正一騎手247勝、いずれも兵庫)だったので情けないなと……。次の年は何が何でも全国リーディングを取らなければと思っていたので、2015年に初めて全国リーディング(297勝)を取れた時は嬉しかったです。

――印象深いレースはいくつもありますが、特に印象的だったのが2017年の東京ダービーでヒガシウィルウィンに騎乗した時です。羽田盃は2着に敗れましたが、「ダービーは絶対に勝ちます」と公言していらっしゃいました。

森:あの時は自分をぎりぎりまで追い込んでいましたね。言霊はあると思っているので、あえて口に出して、毎日の生活からダービーを勝つことにフォーカスしていましたから。その中で勝つことができて最高でしたし、人生で1度だけウイニングランをして、すごく気持ち良かったです。今でも素晴らしい思い出ですね。ただ、かなり自分を追い込んだ分、その後の反動というか……。浮かれていて気が緩んでしまって、すぐにケガをしてしまったんです。僕らにとって東京ダービーを勝つというのは、本当に特別な思いがありますね。

2017年東京ダービー

――これまでの騎手人生、改めて振り返って、ご自身ではどう感じますか?

森:振り返るとけっこう大変でしたね。かなりしんどかった時期もあって、もう1回やれと言われたら無理かもしれません。15歳で家出同然で飛び出してからいろいろありましたが、父も競馬場へ応援に来てくれるようになりましたし、たくさんの方々に支えられて、たくさんの馬たちに出会うことができて、感謝の気持ちでいっぱいです。

■調教師を目指して

――引退会見の時に、「不摂生がしてみたい」と仰っていましたが、叶いましたか?

森:体重を気にしなくていいので、食事面は変わりました。ジャンクなものやハイカロリーなものを食べたりしています(笑)。ただ長年食事を気にしてきたので、そんなに量を食べられないんですよね。今のところ体形の変化はないです。

――今後はいくつかの選択肢を考えている、ということでしたが、目標は決まったのでしょうか?

森:そうですね。いくつかの選択肢がありましたが、いろいろ考えて、調教師を目指そうと思います。今は調教師免許試験に向けて勉強を頑張っています。

――後輩たちに期待することはありますか?

森:言葉にしなくても伝わっていると思っています。背中を見せてきたというとおこがましいですけど、僕がいなくなることによって自覚も芽生えるだろうし、その中から伸びてくる人もいると思います。だから心配していないですし、後輩たちの活躍を楽しみにしています。

――では、ファンの方々にメッセージをお願いいたします。

森:引退式でも話しましたが、本当に長い間応援していただき、ありがとうございました。地方競馬がどん底の時代からここまで来られたのは、ファンの方々のお陰です。これからも楽しんでいただけるよう、自分も頑張っていきますので、またどこかでお会いしましょう。

取材赤見千尋

写真千葉県競馬組合、いちかんぽ、NAR