ジョッキーを引退して7年が過ぎた。
今では競馬専門誌などでレース回顧や検討する機会を与えてもらっているが、自分自身の騎乗した馬のことを語る機会は意外となかった。
37年間の騎手生活は波乱そのもので、いかにも〝昭和の騎手〟らしい毎日だったから、意見がぶつかってケンカをしたり、反対に「俺に乗せれば必ず勝てる」と今考えると恥ずかしくなるようなハッタリで厩務員さんを説得して本当に勝てたこともあった。
1979年に川崎競馬で騎手デビューしたものの、当時は佐々木竹見さん、山崎尋美さん、森下博さんという川崎三羽ガラスがいて、新人ジョッキーが騎乗機会をつかむのさえ大変なことだった。叔父の鈴木喜雄が調教師をしていたから、所属馬をひとつでも上の着順にもってくるように乗るのが関の山。コツコツと騎乗するだけではチャンスも訪れず初めて重賞に騎乗したのが10年目の時だった。
そして初めてのタイトルをつかんだのは1999年、トッキーステルスでの戸塚記念。そして何より忘れられないのが初めてダートグレード競走を勝つ喜びをくれたモエレトレジャーの存在だ。
モエレトレジャーには2003年のデビュー戦から川崎にいた2006年まですべて手綱を取らせてもらった。
調教には中地雄一騎手(現厩務員)や加藤正臣厩務員が乗っていたから、初めてまたがったのは新馬戦のパドック。やけに背丈も幅もない馬だと思って馬体重を見たら419キロ。加藤厩務員がこの馬のことを〝チビ〟って呼んでいたわけがわかった。
それでもスタートを飛び出すと元気いっぱいの走りで5馬身差をつけて快勝。ただ、テンのスピードは速いがゲートの中で落ち着きがなくてチャカチャカしてる。だからこの馬に乗るときはいつも緊張感があった。タイミングが難しくて、その後も課題になっていった。
2戦目も、3戦目の若武者賞もスタートのタイミングは今ひとつだったが、二の脚ですっといい位置につけた。新馬戦はスピードにまかせて逃げたけど、別にハナにこだわるわけではない。自分のリズムで競馬ができればいいんだとわかった。
鎌倉記念もそうだったけど、ハイセイコー記念ではボコッと遅れて最後方からの競馬。このままレースが終わってしまうのかと思ったたら、直線だけの脚で5着まで追い上げた。普通、あれだけ小さいとかぶされたら怯んでしまう。それなのに揉まれても怯まないし、気持ちの強い馬だったんだろう。顔もね、ちょっと悪そうな顔をしているんだ。左だったかな、片目だけ白目が多い三白眼。ひと癖もふた癖もあるような顔をしていた。それがレースでの根性につながったのかもしれない。
とにかく乗るたびに、なにかと驚くことがあった。逃げたときはめっぽう速い。ブルーバードカップで3着して、その頃3歳戦だったしらさぎ賞を逃げ切ったのがモエレトレジャーの初タイトル。とにかく速かった。その後もクラシックから夏も秋も休まずにレースに出走したんだから相当タフ。加藤厩務員が一生懸命にカイバを食べさせるよう努力したと思うんだけど、その頃になると体重は440キロくらいまで増えていた。背は伸びていないんだが横幅が出て小さいのにどっしりしていた。スピードにパワーがついた感じで、秋の戸塚記念も抑えるかたちになったが4コーナーでは逃げていたクラマサライデンを捕まえて先頭に立つ強い競馬で優勝した。
その年に初めて賞金1億円のJBCクラシックに出走できたこともいい思い出だ。アドマイヤドンの7着だったけどね。
3歳の12月に出走したのが浦和記念。JBCとも日程が近いから出走馬が分かれてしまうものだが、それを両方出走して勝ちきるんだからすごいとしか言い様がない。
浦和記念は54キロの斤量に恵まれたのも大きい。JRAのカイトヒルウインドが1番人気で、トーシンブリザードも出走していた。
ポーンと逃げたけど、誰も追いかけてこない。今思えば、きっと止まると思われていたんだろう。蹄の音は聞こえるが姿はいっこうに見えない。結局直線は4馬身差をつけてのダートグレード競走優勝だった。
アジュディミツオーとも同世代だし、その後もダートグレード競走にぶつけていったが、逃げても入着止まりだった。
モエレトレジャーは園田に移籍したが、あらためてこんな幸せな〝無事是名馬〟はいないと思えるのはここから。
園田では摂津盃や姫山菊花賞を制し、2013年に12歳で引退するまで長きにわたって競走馬生活を続けた。
そして引退後に山口大学の馬術部に預けられて競技馬として活躍したという。さらにそのあとには山口大学馬術部の卒業生で北海道で獣医師になった青木栞さんによって引き取られて浦河町のビクトリーホースランチで功労馬として余生を送っている。23歳になった現在も寒さに負けず元気に過ごしていると聞いて、元気なうちに再会できたらと思っている。3歳で重賞4勝をあげた実力は今でも誇りに思う。
通算成績117戦15勝(うち重賞6勝)
もう一度言うが、こんな幸せな〝無事是名馬〟はいない。
提供:埼玉県浦和競馬組合
映像:山口シネマ
音声:耳目社
金子正彦
1962年11月12日 神奈川県出身。
1979年に川崎競馬で騎手デビューし1998年川崎競馬リーディング。16,482戦1,227勝を挙げて2017年3月に引退した。重賞勝ちは東京ダービー(サイレントスタメン)、浦和記念(モエレトレジャー)、桜花賞(ミライ)、ハイセイコー記念(ソルテ)など11勝。
引退後は競馬ブック南関東版でコラム、週刊競馬ブックにて重賞回顧等を執筆。