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イグナイターが残したもの


JBC制覇からの海外挑戦 ファンに見送られ種牡馬に

JBCスプリントJpnIを勝ち、地方馬として19年ぶりのドバイ遠征や、初のサウジアラビア遠征を行ったイグナイター。積極果敢な挑戦は高い能力を秘めていたことに加え、野田善己オーナーと新子雅司調教師のチャレンジ精神もあと押しをしていた。

兵庫所属馬としてJpnI初制覇

 地方競馬の枠を超えて注目を集めたのは、2023年にJBCスプリントJpnIを制覇して以降だろう。それは笹川翼騎手(大井)とコンビを組んで4戦目。ダートグレード初制覇となった黒船賞JpnIIIと続くかきつばた記念JpnIIIは同じ兵庫所属の田中学騎手(当時)が騎乗していたが、南関東で戦うにはコースを熟知した騎手の方がいいのでは、とオーナーは関係者と相談の末、笹川騎手を抜擢した。笹川騎手はその思いに応えようと、コンビ初戦となるかしわ記念JpnIの前には遠路はるばる園田競馬場まで追い切りに乗りに来て、コンビ2戦目でさきたま杯JpnIIを制していた。

JBC開催を前に大井競馬場は園田と同じオーストラリア産の白砂に入れ替えられた。砂厚は2センチ厚い10センチとなり、時計のかかる決着が続いたが、イグナイターにとっては普段の調教で走る園田よりも浅かった。

レースでは好スタートを決めた。2番手集団でレースを運び、手応えを残したまま先頭集団の一角で直線を迎えると、残り200メートルで先頭に躍り出た。ゴール直前、リメイクが勢いよく脚を伸ばしてきたが、1馬身半差で勝利。「兵庫のイグナイターだ!」と高らかに実況が響き、南関東以外の地方馬が初めてJBC(2歳戦を除く)を勝った瞬間だった。

「園田のみなさん、やりました」と笑顔を見せたのは笹川騎手。「最後のバトンを任せてもらっていて、責任があります。返し馬から素晴らしい状態だなと感じていて、抜群の手応えで予想より1列前で運べたので、仕掛けだけが早くならないようにリズムを大切にしました」と話した。

実は前走・マイルチャンピオンシップ南部杯JpnIでレモンポップの2着の後、年内は全休プランもあった。翌年には得意の小回り1400メートルでGI/JpnIが2レース(さきたま杯、佐賀開催のJBCスプリント)行われることから、そこに向けて英気を養おうという考えだった。ところが、南部杯後に乗り始めてみると想像以上に元気だったことからJBC参戦が決定。追い切りタイムは前走とほぼ同じながら、「乗っている感じがすごく素軽くて、南部杯よりデキはいいと思っていました」と自ら調教に騎乗する新子調教師が話すように、状態は良く充実期に入っていた。

2023年JBCスプリントJpnIを勝利

ドバイという夢への挑戦

この年、2年連続でNARグランプリ年度代表馬に輝くと、翌年はフェブラリーステークスGIからドバイ遠征という、さらなる高みを目指す挑戦が始まった。

海外遠征はJBCを勝つ前から選択肢に入れられていた。22年にサウジアラビアのリヤドダートスプリントG3に初めて申し込みをして補欠、翌年は招待が届いたが検疫等の準備期間がなく断念。そしてJpnI勝ち馬となった24年もサウジから招待が届き、チーム・イグナイターはローテーションを検討したが、結果的にサウジ遠征は断念する。その中心にいた野田オーナーはこう説明する。

「サウジに遠征すればそのままドバイに転戦することになるでしょうが、地方馬にとっては未知すぎて宇宙に行く感覚ですし、上半期を棒に振る可能性もあります。フェブラリーステークスで走りを見たい気持ちもあったので、そちらへの挑戦を決めました」

一方でドバイについては野田オーナーは「馬主になった時からの夢」、新子調教師も厩舎開業時から一貫して「ドバイで勝つことが目標」と掲げており、ドバイ遠征の可能性を残したまま、JRAのGI出走が決まった。

地方馬がJRAのレースに出走する際、出走馬と同じ地区に所属する騎手かJRA所属騎手しか騎乗できない、というルール。かつて主戦を務めた地元の田中騎手はこの頃、腰痛のため長期休養に入っており、白羽の矢が立ったのが西村淳也騎手(JRA)だった。野田オーナーがJRAで所有するブランアルディに騎乗し3勝を挙げるなど縁があった。

新馬戦を快勝した舞台に戻ってきたイグナイターは、ここでも好スタートを決める。ところが、外から他馬も来て前半600メートル33秒9とペースは流れる。直線に向き、一度は先頭に立ったが、後続に飲み込まれて11着でゴールした。とはいえ、勝ち馬からは1秒差。この走りを見てレース後、正式にドバイ遠征が決定した。

2024年フェブラリーステークスGIに出走

西日本の地方馬として初の海外遠征

地方馬の海外遠征はこれまでも複数例があったが、いずれも北海道か南関東の所属。西日本からの遠征は初めてで、最も懸念されたのは出国検疫だった。新子厩舎の場合、イグナイターを含む厩舎のほとんどの馬の調教に調教師自らが騎乗する。地方競馬教養センターでは2022年1月から出国検疫が可能になったが、栃木県で1週間の検疫期間を過ごすとなれば、その間、厩舎の馬たちの調教をどうするかという課題があった。

そこでJRAに相談し、立地的に近いJRA栗東トレーニングセンターの検疫施設を間借りできることになった。ちょうどドバイ遠征を控えたJRA馬も多数おり、新子調教師と親交のあった友道康夫厩舎の前川和也調教助手がドウデュースに騎乗し、イグナイターを日々、調教場まで先導してくれた。新子調教師はイグナイターの騎乗を終えると車で約1時間の園田に戻って地元でも調教に乗るプランも立てていたが、検疫組の調教時間の関係から断念。結果、厩舎所属の笹田知宏騎手などが新子調教師の留守を預かった。かくして検疫期間をクリアして中東に旅立った。

初めてのドバイでもイグナイターはすぐに環境に慣れた。ドバイでの調教初日こそ、イレ込む場面があったが、栗東で共に過ごしたドウデュースが前に入ってくれると、すぐに落ち着いた。普段から装蹄を担当する堀井宏紀装蹄師は現地の馬場に合わせて装蹄できるようスパイク鉄2種類(2ミリ、4ミリ)とノーマル鉄を持参してドバイ入り。陣営と熟考の末、前肢はノーマル鉄、後肢に2ミリのスパイク鉄を履かせることにした。

あとは好スタートを決めて、先行集団からロスなく運んで抜け出せれば。それが理想のレースプランだった。ところが、外の馬が絶好のスタートを決めて前に入られたことでポジションが後手に回った。直線で外に出し、一度は伸びかけたが、結果5着。

「1番枠で最初の方にゲートに入って、そこから日本以上に待たされたことで落ち着きすぎて、出遅れてはないですけどいつものようなスタートの速さではなかったです。直線では強引に外に出す形になって、僕の至らなさですし、進路取りも結果的に判断ミスでした。今までで一番悔しいレースです」

笹川騎手は直線の進路取りで騎乗停止処分も受けた。しかし、こうした海外遠征を見据えて20代でフランスに約1カ月間遠征し、この1カ月前にもカタール遠征を行うなど準備をしてきた。野田オーナーは「世界で5着」と健闘を称え、新子調教師も「世界に通用する仕上げはできた」と納得した。

その力を証明するかのごとく、帰国初戦となったさきたま杯JpnIではレモンポップ相手に4コーナーで並びかけるところまでいった(2着)。イグナイターが得意とする小回りコースとはいえ、前年のマイルチャンピオンシップ南部杯JpnIで2秒0つけられた差を0秒4にまで縮めた。

秋にはJBCスプリントJpnI連覇を目指したが、結膜炎でわずかに調整が遅れた影響もあったのか4着だった。

初の海外遠征となったドバイゴールデンシャヒーンG1(5着)

海外遠征の経験で得たもの

この年を最後に引退し、種牡馬入りさせることを野田オーナーは視野に入れていたが、現役続行を決断した。そして、これまで招待を受けながらも実現しなかったサウジ遠征に踏み切った。

ただ、今回はJRA栗東トレセンを借りることができない。一方で、前年のドバイからの着地検疫で地方競馬教養センターを利用して、同地でどのような調教ができそうかイメージが沸いていた。1周1100メートルのコースは園田とほぼ同じで、雪が残っていたため使用しなかったが坂路もある。イグナイターは1頭でも調教を行える。それらを総合的に判断し、地方競馬教養センターにて、新子調教師が調教と普段の世話を一人で担う形で出国検疫を実施。それは同センターの出国検疫第1号ともなった。

2度目の海外遠征は人馬共に気持ちに余裕があった。ところが、スタート1分前、不測の事態が起きた。ゲートボーイのリクエストはしていなかったにもかかわらず、突然ゲート内に入ってきた。嫌がったイグナイターは態勢を崩し、出遅れてしまった。追い切り時にタフさを感じた馬場は、レース前日から当日にかけて散水とローラー掛けされ、スピード馬場と化していた。そうなると後方からでは成すすべなく、11着でゴール。前年、世界の頂が見えかけたドバイから大きく着順を落としたが、新子調教師はある手応えを掴んだ。

「こんな気持ちを昔も感じたな、と思い出しました。まだダートグレード競走を勝っていなかった頃、どうしたら勝てるのかと考えた時、地元重賞だけに目を向けるのではなく、外に出て強い相手と戦っていかないと勝てないと思い、どんどん挑戦するようになりました。世界もそうだと感じています。実際に来てみて、1200メートルのスペシャリストでJBCスプリントを逃げて押し切り勝ちするような馬じゃないと世界では通用しないのかな、と感じました。これまでは雲を掴む思いでしたけど、海外遠征を経験して、壁が見えた気がします」

他にも来てみなければ分からないこともあった。たとえば、レース当日は王族の移動等で周辺道路が封鎖。当日深夜2時に「朝8時以降、出入りができなくなる」と連絡を受け、慌てて必要な道具や荷物をまとめるドタバタ劇もあった。それもこれも、挑戦したからこそ見えたことだった。

そして、サウジカップG1をフォーエバーヤングが勝つシーンを目の当たりにして新子調教師は強く思った。

「前走、東京大賞典を勝った馬だよね。地方馬だって不可能じゃない」

地方から世界への道は開かれている。

2度目の海外遠征となったリヤドダートスプリントG2

帰国したイグナイターは、久しぶりの地元戦・兵庫大賞典を勝ち、3度目の出走となったマイルチャンピオンシップ南部杯JpnI・10着を最後に引退が発表された。

重賞初制覇を果たした楠賞が行われた11月6日に園田競馬場で引退式が行われ、ファンからは大きな拍手と「イグナイター、ありがとう!」の声援が飛んだ。兵庫移籍後に騎乗した4名の騎手も勢揃い。その中には調教師に転身した田中元騎手の姿もあった。高みを目指し、地元で走る回数は少なかったが、兵庫のスターホースとして、ファンは誇りを抱いていた。

多くの人に見送られたイグナイターは北海道のアロースタッドで種牡馬生活をスタートさせる。早ければ29年春、産駒がデビューする。その中からまた世界にチャレンジする馬が誕生することを願っている。

イグナイター引退式当日の様子。多くのファンがイグナイターを見送った。


取材・文大恵陽子

写真大恵陽子、森内智也、いちかんぽ、NAR