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宮下瞳騎手、二度目の引退から調教師へ


騎手としての実績と経験は 競馬に携わる女性の道しるべ

宮下瞳騎手の引退に寄せて、再び想いを綴る日が来るとは、2011年に引退した時には想像もしていませんでした。

宮下騎手のすごさは、引退後2人の息子さんを出産し、5年のブランクを経て39歳でカムバックした上に、復帰後にさらに成績を伸ばした、ということです。

1995年10月22日のデビューから、2011年の一度目の引退まで約16年間で、地方競馬通算7795戦626勝(他に韓国662戦56勝、中央2戦0勝)。この数字も相当にすごいのですが、16年の復帰から引退までの約9年間では、地方競馬通算7684戦756勝。想像をはるかに超える努力と活躍を見せてくれた、まさにスーパーウーマンです!

ラスト騎乗日となった2025年11月26日の様子

一度目の引退からの復帰

宮下騎手のデビューから一度目の引退までについては、当時の『宮下瞳騎手の引退に寄せて』に詳しく記しました。華々しい経歴とは裏腹に決して順風満帆ではなく、女王と呼ばれるようになってからも葛藤が続きましたが、韓国遠征をきっかけに改めて競馬に乗る楽しさを味わい、「やり切った気持ちと、妊娠が重なったタイミングで引退を決めました」と、幸せに満ちた表情で引退を迎えました。あの時、お腹に宿っていたのが長男の優心くん。3年後には次男の健心くんも生まれ、騎手として奮闘する夫・小山信行さんを支える日々でした。

そんな中で、優心くんとの何気ない会話が、もう一度騎手になる決意へと繋がります。家に飾ってある騎手時代の写真を見た優心くんから、「これママなの?」と聞かれ、「そうだよ。ママもパパみたいに馬に乗っていたんだよ」と答えると、「ママが馬に乗っているところが見たい!」と言われたそう。復帰への気持ちが膨らみ、反対されるかもしれないと悩みつつも小山さんに相談してみると、「いいじゃない」と背中を押してくれました。

もともとの所属調教師だった竹口勝利調教師に相談すると、とても喜んでくれたそう。「竹口先生は年齢的なこともあって、調教師を辞めようとしていたタイミングだったんです。でも復帰したいと伝えたら喜んでくれて、先生も私の復帰を生きがいのように感じてくれました。騎手になる前から可愛がっていただいて、本当の父のように思っています」と宮下騎手。

そこから復帰を目指して厩務員生活がスタートするわけですが、毎朝の調教は夜中の1時2時から始まります。宮下騎手も小山さんも共にその時間家を空けるため、鹿児島で暮らす宮下騎手のお父様が住み込みでサポートした時期もありました。

2011年8月16日に実施された一度目の引退記者会見での宮下瞳騎手と竹口調教師

復帰後に実感した騎手の楽しさ

宮下騎手は今回の引退記者会見で、「本当に周りの方々に恵まれました。家族や関係者の方々にサポートしていただいたお陰で、今の自分がいます」と話しました。小さな子供を育てながら騎手復帰することは、たくさんのサポートが必要で、実際に多くの方々が惜しみなく協力してくれたそうです。でもそれは、宮下騎手の頑張りがあったからこそでしょう。約1年半の厩務員生活を経験し、必死に勉強をして無事に騎手免許試験に合格。2016年8月17日に現役復帰を果たします。

復帰後の初勝利は11戦目で、小山騎手のお手馬だったリチャード(当時:瀬戸口悟厩舎)。「夫と関係者の方々が、私のために用意してくれた馬でした。子供たちも応援にきてくれて、目の前で勝つことができて嬉しいです」と宮下騎手。騎乗姿を見た子供たちからは、「ママ、カッコいい!」と声援が送られ、「頑張って復帰して良かったです」と満面の笑顔を見せました。

以前の宮下騎手は、「勝たなければいけない」という信念のもと、強い気持ちで戦っていました。何度か一緒に騎乗したことがありますが、レース中、宮下騎手がどこにいるのか、その気迫の強さで伝わってくるほど。その強い気持ちがあったからこそ、女性騎手としての勝利数を大幅に更新し、女王・宮下瞳と呼ばれるようになったわけですが、ご本人にとってはどこまで勝っても終着点がない、苦しい戦いだったのではないかと想像しています。

韓国遠征で競馬に乗る楽しさを取り戻した時の宮下騎手は、本当に生き生きとしていました。だからこそ復帰すると聞き、あの時以上の到達点があるのだろうかと勝手に不安に感じていたのです。

そんな心配をよそに、復帰後の宮下騎手はとても楽しそうに騎乗していました。ご本人に伺うと、「今、本当に楽しいです!騎手ですから、もちろん『勝たなければ』という気持ちは強いですが、振り返ると、以前は自分のためというところが大きかったのかもしれません。厩務員の経験をしたことで、1頭1頭レースに出走するまでがどれだけ大変か実感しました。頑張ってくれる馬たち、毎日世話をしている厩務員さん、たくさんの関係者の方々。私のことを応援してくれる家族や周りの方々。感謝の気持ちを忘れず、レースに乗っています」と笑顔で語ってくれました。

2019年にはJRAから移籍してきたポルタディソーニとともに、名港盃を勝利

家族とともに、厩舎開業

2020年に105勝を挙げ、初めて年間100勝を達成。この時が復帰5年目の43歳。21年11月18日に地方競馬通算1000勝を達成し、その後もコンスタントに勝ち星を重ねていくわけですが、自身のキャリアハイとなったのは年間116勝を挙げた24年、47歳の時です。

一般的には体力の衰えが気になってくる時期に、より一層輝きを増す宮下騎手。なぜそんなに頑張り続けられるのか伺うと、こんな答えが返ってきました。「復帰した頃は小さかった子供たちが、毎日成長していくんです。日に日にできることが増えていって、どんどん逞しくなっていく。そんな姿にパワーをもらっています」

2021年11月18日の地方競馬通算1000勝達成時の様子

名古屋競馬場に取材に行った時のことです。その日は開催最終日だったのですが、宮下騎手の騎乗終わりに話しかけると、「子供たちのお迎えがあるから!またね」と言って猛スピードで走り去っていきました。開催終わりに疲れも見せず、“母は強し”です。

そんな折、優心くんが「騎手になりたい」と言ってくれたと、嬉しそうに話していました。「いつか一緒に乗れたら」と夢を語っていましたが、今年春、前十字靭帯を負傷。ご自身の中で100%の騎乗ができないと、騎手引退を決意します。将来的には……と考えていた調教師への道が一気に現実となり、猛勉強の末に一度目の試験で合格を果たしました。

25年12月1日付で調教師となり、厩舎開業は厩務員となった小山さんと一緒に、二人三脚でスタートするそうです。今後について、「これまでは夫が中心で子育てをしてきたので、これからは2人で頑張っていきたいですし、なかなか時間が作れなかった分、子供たちと旅行がしたいです。中学2年生になった息子が騎手になりたいと言っているので、そのサポートもしたいですね」と話していました。

2025年東海クイーンカップ(コパノエミリア)

騎手に復帰しやすいルールへ

騎手免許を継続するには継続試験を受ける必要があり、『身体』『学力』『人物』『技術』について試験が実施され、毎年受験が原則です。今年11月、妊産婦(妊娠中または出産後1年以内の女子)は、『身体』と『技術』の騎乗回数の基準を適用しないこととなりました。妊娠・出産を経て騎手復帰することは依然としてハードルが高いですが、免許試験の内容が緩和されたことは大きな一歩。『妊娠・出産』イコール騎手引退ではなく、復帰への道すじが広がりました。

引退記者会見の最後に語ったのは、今後に続く女性たちへのメッセージ。「厩舎が落ち着いてからですが、いつか女性騎手を育てたいです。自分だからこそ教えられることがあると思うので。女性厩務員さんも増やしたいですし、後輩の女性騎手たちがもっと活動しやすいように、サポートできることをしていきたいです」。宮下騎手が残した功績は、競馬に携わる女性たちの道しるべとして、これからも輝き続けます。

2025年11月26日に実施された引退記者会見での宮下瞳騎手と宇都英樹調教師


取材・文赤見千尋

写真愛知県競馬組合、大恵陽子、いちかんぽ、NAR