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吉原寛人騎手が地方重賞最多勝記録更新


安藤勝己騎手を超え地方重賞201勝 さらなる記録更新へ走り続ける

“吉原寛人は何人いるのか……”

週末は地元・金沢で騎乗したかと思えば、週中も連日のように全国各地の重賞に顔を出し、有力馬に騎乗する。次の日曜には高知でその姿を見たりする。まさに“金沢発、重賞請負人”。

デビュー25年目の2025年12月7日、地元の重賞・中日杯をクーアフュルストで勝利し、安藤勝己元騎手が持っていた、地方所属騎手による地方競馬重賞最多勝利の記録を更新した。積み上げた重賞201勝。幾多の名馬との出会いをご本人のお話とともに振り返っていくことにしよう。

2025年中日杯(クーアフュルスト)

若き日の重賞制覇の記憶

初勝利はデビューの当日。その年には金沢のトゥインチアズとのコンビでJRAのもみじステークスを逃げ切り、中央のファンを驚かせた。騎手生活はスタートから素晴らしい滑り出しだった吉原騎手だが、重賞は「縁が無くて特別な存在」だったという。

初めての重賞勝ちはデビュー3年目・2003年7月のことだった。

「オールジャパンリーディングジョッキーという、今は無き重賞ですね。全国のリーディングジョッキーが集まるレースで、馬は抽選だったんですけれど、有力馬が当たって。新人っぽい4コーナー先頭で押し切ったんです」

コーザンブレーンで見事1番人気に応える勝利。2着は宇都宮・鈴木正騎手、3着は当時まだ笠松所属だった川原正一騎手。錚々たる面々を従えての初重賞制覇だった。

「もっと早く重賞を勝てると思ったんですけどね……。やっと勝てたなぁってそんな感じでした」

翌年4月にはアラブの黒百合賞スポーツニッポン杯を勝って重賞2勝目。福山競馬を代表する名馬・モナクカバキチが2戦だけ金沢に所属して走ったレースでコンビを組んだ。

「アラブは使える脚が限られている馬が多くて、2ハロンなら2ハロンできっちり脚を使う感じ。ジョッキーは馬の脚の計算ができる人、ゴールから逆算して脚を使える人が強いと思うのですが、脚を計るということをこの馬から勉強させてもらいました」

大記録を逃した経験が原動力に

その後、オーストラリアやドバイへの遠征、佐々木竹見カップジョッキーズグランプリでの3位入賞(2009年)、地元では百万石賞を連覇(10、11年)するジャングルスマイルとの出会いなどトップジョッキーとして経験も積む中、他場の競馬へ向かう意識も強くなっていった。

「性格的にもジッとして居られないんですよね(笑)。金沢にいるとどうしても冬場の開催が空くところでリセットされてしまう気がして……。06年にオーストラリアで修業をしたりする中で、競馬は金沢だけじゃない、色んな競馬場で乗ってみたい、という思いが湧きました」

ジャングルスマイルがまさに全盛期の活躍を見せることになる2011年。金沢のシーズンオフに南関東での期間限定騎乗に出向いた。所属は川崎・内田勝義厩舎。のちにライトウォーリアを始め、厩舎所属馬で数多くの重賞を勝つことになるが、12年、岩手県知事杯OROカップをナターレで制したのが、内田厩舎所属馬で最初の重賞勝利だった。

翌2013年にはアメイジア(船橋・坂本昇厩舎)で川崎のクラウンカップを制し、南関東の重賞初制覇。地元以外での活躍にも勢いがつき始めた頃、自身のキャリアにとっても大きな存在となる馬と出会うことになる。

「ハッピースプリントに乗せていただかなければ、今の流れはなかったでしょうね。それだけこの馬との出会いが大きかったと思います」

2013年の全日本2歳優駿JpnI(鞍上は宮崎光行騎手)を制したハッピースプリントは、その後、大井・森下淳平厩舎へ移籍。南関東のクラシックを吉原騎手とのコンビで戦うこととなった。初戦の京浜盃を勝ち、羽田盃は5馬身、東京ダービーは4馬身差で勝利。東京ダービーを南関東以外の騎手が制するのは初めてのことだった。

三冠を賭けて戦ったジャパンダートダービーJpnIは降りしきる雨の中、最後、カゼノコの末脚にハナ差屈した。

「自分の技術が足りなかったのが敗因です。若くて未熟で1~2コーナーで焦ってしまったんです。無駄な脚を使わず、脚が残っていれば……。あのレースで負けたのは、勘違いを起こさせないための戒めだったのかもしれないです」

大記録の前に隠れがちだが、今でも思い出す敗戦の経験もまた自身を突き動かす原動力になっている。

2014年東京ダービー(ハッピースプリント)

若き日の経験を生かし地元JBC制覇

ダートグレード初制覇は2015年7月。「ウチの重賞勝ちはほとんどが吉原君とのコンビ」(27勝のうち12勝、25年12月20日現在)と話す、大井の渡邉和雄調教師が管理するユーロビートでマーキュリーカップJpnIIIを制した。翌年にはさきたま杯JpnIIをソルテ(大井・寺田新太郎厩舎)で制し、その引退式では亡きオーナーを思い大粒の涙を流した。2019年にはマイルチャンピオンシップ南部杯JpnIをJRAのサンライズノヴァとのコンビで勝利。12月にはヴァケーションで全日本2歳優駿JpnIを勝ち、JpnI競走を1年で2勝するという大活躍。

すっかり“重賞請負人”としての姿もファンの間でお馴染みになってきた矢先、コロナ禍が日本を襲った。遠征が制限される悔しさを拭うように現れたのが金沢の女帝・ハクサンアマゾネス。コンビで地元の重賞を“無双”したが、素顔はとても繊細な馬で、引退まで調教を付けながら向き合う日々が続いたという。

2020年石川ダービー(ハクサンアマゾネス)

JBCが金沢開催となった2021年。船橋のミューチャリーと前哨戦の白山大賞典JpnIIIで初めてコンビを組んだ。

「どれくらい脚を使えるか計る意味で、いつもと違う先行策を取ったんです」

結果は2着。手応えを掴み挑んだJBCクラシックJpnI本番は自身も「会心のレースだった」と振り返る。

「スタートで有力と言われていた2頭が出遅れて、そこで作戦を変更しました。変更は独断だったんです」

今までのミューチャリーからは少しイメージし難い、積極策からの4コーナー先頭。

「自分のリズムを守り、ペースも握る形で、仕掛けのタイミングを逆算して有力馬が脚を使えない状況に持ち込みました」

ゴールからの逆算……。デビューして間もない頃、モナクカバキチで学び、幾多の名馬との出会いで磨いてきた戦術で勝ち切った。コロナ禍で金沢競馬場への一般入場は抽選で1300人に制限された状況(実際の入場は1023人)。それでも地元ジョッキーの勝利に場内は大いに沸いた。

「オレの庭で好き勝手させないぞ、って思いもありましたから。数は制限されていましたけど、熱い声援が聞こえて……。あのJBCは嬉しかったし、楽しかったですね」

2026年のJBCは金沢で行われる。あの日の光景を今度は大歓声の前で見る事が出来るだろうか。

2021年JBCクラシック(ミューチャリー)

次なる目標は地方重賞231勝

コロナの波が過ぎ去り、各地を飛び回る生活が戻ってくると、重賞勝利数も一気に跳ね上がった。

2022年が13勝。23年が22勝。24年にはライトウォーリアで川崎記念JpnI、フォーヴィスムで兵庫ゴールドトロフィーJpnIIIと、ダートグレード2勝を含む28勝。迎えた2025年も6月のひと月だけで重賞を6勝するなど、凄まじいペースで勝ち星を重ねていった。

地方重賞通算200勝の大台に向けたカウントダウンが進む中、僅かにブレーキを踏む瞬間があった。

「ケイズレーヴ(11月6日・楠賞2着)とシンメデージー(11月13日・東海菊花賞2着)は勝てるかな、と数に入れていたので……。12月に入ってしまって少し焦りました」

それでも12月3日に大井の勝島王冠を渡邊和雄厩舎のキングストンボーイで制し、200勝。続いて翌週、7日にはクーアフュルストで中日杯を勝ち、ついに201勝目。地方所属騎手による地方重賞最多勝記録の更新は、所属する加藤和義厩舎の馬で達成された。勝利インタビューで見せた、どこかホッとした表情に大記録と向き合った日々への思いが感じられた。

2025年勝島王冠(キングストンボーイ)

大記録は達成。しかし、もう次の目標を見ている。「次はアンカツさんの地方重賞231勝の記録、ここは抜いていきたいですね。1年半以上かかりますかね……。そんなに甘くはないと思いますけれど」

JRA移籍後も含めた安藤勝己元騎手が引退までに積み上げた数字の更新を目指し、また全国を飛び回る。

体力やメンタルをどうキープしているのかと伺うと、「ありがたいのですけれど」と前置きをして、こう教えてくださった。

「正直、体は悲鳴をあげてますね。移動の疲れはありますし、メンタルも……ちょっと虚無になる時もありますから。有力馬も任せていただく機会が多いですし、ずっと気が入っている感じで、心が休まる機会はあまりないですね」

それでも自身を動かすのはどんな思いからなのだろう。

「他のジョッキーにも続いて欲しいと思っています。実際『吉原さんみたいにステッキ1本でいろんな所に乗りにいきたい』って言ってくれる後輩がいるのは嬉しいですよね。いつまでも輝いている先輩でいたいですし、恥ずかしいレースは出来ないです。ファンの皆さんにも一つひとつの競馬のドラマも含めて楽しんでいただけたらと思います」

憧れ、追いかけてくる後輩達に、誰も抜けないような大記録を残す姿を見せるため、そして全国で応援してくれているファンのために。吉原寛人の旅はまだまだ終わらない。

2025年12月7日に行われた記念セレモニーの様子


小堺翔太

写真いちかんぽ、NAR