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第34回青藍賞

ハナを譲らず直線独走
  青藍賞3連覇で重賞8勝目

青藍賞が創設されたのは1993年。1着賞金1000万円は地元重賞では破格だったが、明確な背景があった。青藍賞より7年前にスタートした3歳・地方競馬全国交流『ダービーグランプリ』だった。

当時、岩手競馬では3歳限定レースがシーズン終了まで行われていた。一部を除き、3歳馬が古馬重賞へ初挑戦するのは1年を締めくくるファン投票・桐花賞。それ以前は3歳カテゴリーを基本に戦っていたが、志(こころざし)ある3歳馬は早い時期から先輩たちと戦って強くなれる。それが青藍賞の設立目的だった。

命名の由来は“青は藍より出でて藍より青し”。意味は様々あるが、青藍賞に限って言えば、先輩たちと戦って強くなれ。先輩たちを乗り越えろ――。1994年、青藍賞へ挑戦したブラッククロス(父タマモクロス)が象徴だった。

東北ダービー(新潟)優勝後、古馬条件戦1着から青藍賞へ挑戦。中央準オープンから転入キクノホープの3着に敗れたが、続く不来方賞を制し、ダービーグランプリでは7番人気の低評価を覆して優勝した。

前後するが、青藍賞はダービーグランプリに合わせて第1回から第7回まで距離2000メートルで行われ、第8回(2000年)から1600メートルへ短縮。同時に南部杯トライアルへ移行し、その後JBCの指定競走になった。

今年の青藍賞はヒロシクンが史上初の3連覇達成なるか――が最大の焦点だった。仮に出走すれば最大の敵になったであろう、ルコルセールはクラスターカップJpnIII・5着後、休養に入った。菅原勲調教師は「使い詰めだったので放牧に出した。秋は絆カップを目指したい」

そうなるとヒロシクンの独壇場を誰もが疑わなかったが、サクラトップキッドが果敢にハナを主張した。正直驚いたが、高松亮騎手は織り込み済み。「誰かではなく、サクラトップキッドが攻めてくるかもと考えていましたから想定内。ハナを譲る気はありませんでした」

高橋悠里騎手=サクラトップキッドは、ヒロシクンの一人旅を黙って指を咥えているわけにはいかなかった。この攻防で1周目4コーナーからスタンド前の流れに緊張が走ったが、以降は逃げヒロシクン、2番手サクラトップキッド、3番手リトルサムシングの先団で隊列が落ち着いた。

あとはいつもどおり、ヒロシクンの勝利パターン。3コーナー手前から徐々にピッチを上げ、サクラトップキッドに6馬身差をつけてゴール。史上初の青藍賞3連覇を達成した。レースの激しさは最後方を追走したウインオーディンが3着に突っ込んだことでも明らかだった。

今回の勝利で重賞8勝目。3走前は59キロの酷量を背負いながら、水沢1600メートルのコースレコードを大幅に更新した。大きくて白くて、しかも速い。ヒロシクンの名前も親しみやすい。レース後の表彰式には多くのファンが集まり、ヒロシクンの快走を祝福した。

祖母はジャパンカップGIでシングスピールと“死闘”を演じたファビラスラフイン。ヒロシクン、私はあなたのおばあちゃんを知っています。

取材・文松尾康司

写真佐藤到(いちかんぽ)

Comment

高松亮騎手

今回は自分のリズムでレースを進められた訳ではないので道中はしんどかった。溜めて走っても良さが出るタイプではないですから、腹をくくって行くしかありませんでしたが、しっかり応えてくれました。普段はおっとりしていますが、レースへ向かうと一変します。それがいい方向になっていると思います。

佐藤雅彦調教師

調子の波がありませんし、門別遠征の影響もほとんどなかったですね。中間も順調そのもの。丈夫なのがいいところだと思います。史上初の3連覇なんですか。すごい馬ですね。ここまで来たら南部杯へ挑戦してもいいかもしれません。まだ決定ではありませんが、オーナーと話し合って決めます。