女性騎手たちと親交のある、
競馬リポーターの大恵陽子さんが、
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(毎週金曜 更新予定)

COLUMN

Vol.58 移転する競馬場の思い出


名古屋競馬場が3月11日をもって現在の地で閉幕し、来月8日からは愛知県弥富市にある弥富トレーニングセンターに移転することとなりました。

これまで名古屋競馬場があったのは名古屋市港区。名古屋駅からはあおなみ線で12分と、とても立地がよく、第二次世界大戦直後に開設され、1959年の伊勢湾台風では地元住民の避難所としても機能したそうです。

1周1100㍍のコンパクトな競馬場なのですが、かつてはタスキコース(コースを斜めに横切るコース)があったり、障害レースが行われたこともありました。



  • ▲昭和30年の障害レースの風景(提供:愛知県競馬組合)

この地で1995年10月にデビューしたのは宮下瞳騎手。



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「若い頃から装鞍所や下見所のスタッフのみなさんにお世話になりました。
近所に住んでいることから働きに来ている女性もいて、移転先の弥富には行かない方もいるんです。寂しいです」

現・名古屋競馬場ラストの日には紙袋片手に、この地でお別れとなるスタッフの方々に感謝の気持ちを込めたプチギフトを渡していました。

ヘイセイチェッカーで2002年クリスタルカップを勝って重賞初制覇を果たしたのも、2人の息子さんの出産を経てママさんジョッキーとして復帰したのも、ポルタディソーニと数々の重賞で魅せてくれたのも、そして国内女性騎手初の通算1000勝を達成したのもこの地でした。

「まだ移転する実感がないです。
再来週も、またここに来ちゃいそうです」

そう寂しがった宮下騎手。

しかし、厩舎や舎宅のある弥富トレーニングセンターに競馬場が移転することで、レースと居住空間が近くなるメリットもあります。
お子さんのいる宮下騎手にとっては大きなメリットでしょうし、他のジョッキーや馬にとってもそれは同じ。

木之前葵騎手は

「これまではレースのたびに馬も人も競馬場に約40分かけて移動していて、少しの移動ではあるんですけど、積み重ねで疲れもあったと思います。
これからはその移動がなくなる分、馬も人も楽に競馬ができると思いますし、より力も発揮できると思うので、移転はとても楽しみです」



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2013年4月にデビューし、約9年。

「最近ではケガもしたり、いろんな思い出があって名残惜しいです」

と話しつつも、やはり移転にはポジティブなイメージを抱いているようです。

そんな話をみんなでしていたところ、何やら検量室付近がガヤガヤと騒がしくなりました。
何事だろう?と目を向けると、かつての名古屋リーディングで、JRA遠征時には2005年桜花賞でシーザリオに騎乗して2着などの活躍を見せた吉田稔元騎手の姿が。

この地で最後の開催日とあって駆け付けたようで、木之前騎手と、吉田元騎手の地方競馬教養センター時代の同期・宇都英樹調教師と記念撮影。



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それぞれに思い出を胸に、「土古(どんこ)」と呼ばれた名古屋競馬場と別れをしたようです。

愛知県弥富市に移転した名古屋競馬場は4月8日に開幕を迎える予定です。

  • 大恵 陽子競馬ファン歴25年 女性競馬リポーター

    グリーンチャンネル「アタック!地方競馬」ウェストアタッカー(ゲスト)、 「地方競馬中継」コメンテーターなど競馬番組出演や、イベント MC、コラム執筆などで活躍中。

  • 大恵 陽子
    競馬ファン歴25年
    女性競馬リポーター

  • グリーンチャンネル「アタック!地方競馬」ウェストアタッカー(ゲスト)、 「地方競馬中継」コメンテーターなど競馬番組出演や、イベント MC、コラム執筆などで活躍中。