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ハクサンアマゾネス引退に寄せて~吉原寛人騎手


プレッシャーを感じながらの5年間
 金沢の歴史に名を残す日本一の記録

3歳4月のデビューから7歳一杯まで走り続け、通算44戦30勝。そのうち39戦で手綱をとり、重賞25勝という最多勝記録のうち24勝を挙げたのが吉原寛人騎手。引退式では涙も見せた、その想いをうかがった。

■「この馬の存在に支えられました」

――無事に引退を迎えて、どんなお気持ちですか?

吉原寛人騎手:長年プレッシャーを感じながら結果を出してきましたので、今は淋しい気持ちとホッとした気持ちがありますね。

――12月3日に行われた引退式では、涙を流していらっしゃいました。ご自身が辛い時に支えてくれたと話されていましたが、改めてその言葉の真意を教えてください。

吉原:特に辛かった時というのはコロナ渦の時期ですね。遠征に行くのが当たり前の日常から、まったく遠征に行けなくなってしまって……。遠征に行けないことも辛かったですし、それまでずっと外に気持ちが向いていたのに、遠征に行けないからといって急に地元の乗り馬を増やすというのもなんだかいやらしいじゃないですか。全然先が見えなくて葛藤したり、これから僕はどうなってしまうのだろうと悩みました。その中で、地元の重賞を勝ってくれて、心のよりどころになってくれたのがハクサンアマゾネスです。この馬の存在に支えられました。

――加藤和義調教師が、あの涙はずるい! みんな泣いてしまったと仰っていました。

吉原:もっといろいろ話したいことがあったのですが、泣いてしまって上手くしゃべれなかったです。約5年という長い間、二人三脚で過ごして来たという気持ちがあって、思い入れが強い馬ですから。

――デビューしてとんとん拍子に石川ダービーを勝ち、古馬重賞である中日杯も勝ちましたが、実は若い時からずっと順調というわけではなかったそうですね。

吉原:そうなんです。体質が弱くてデビューが3歳の4月になってしまったわけですが、いざデビューしてレースに出走すると、自分の限界を超えて走るというか、多少体調が良くなくても、調教で負荷がかけられなくても、レースに行くと目いっぱい走ってくるんです。競走馬は生き物ですから、辛いからもうやめた、ちょっと力を抜いて、というような馬が多い中で、本当に一生懸命に死力を尽くして走ってしまう子でした。以前、アーモンドアイもそういうタイプだったと聞いたことがありますが、レースが終わってふらふらになる時もありました。

――とても真面目な性格なんですね。

吉原:すごく真面目で、だけど繊細なところもあって。たくさん勝たせてもらいましたが、乗り方一つ、展開一つで負けることもある、脆さと強さの振れ幅が大きかった印象です。

――調教はずっと吉原騎手が担当していたそうですね。

吉原:遠征に行っても次の日の早朝の調教に乗れるよう、当日帰れる場所であれば急いで帰って来ていました。もちろん他の方に調教に乗っていただくこともありがたいのですが、先ほども言ったようにとても繊細なところのある馬なので、なるべく自分自身で仕上げたいという気持ちが強かったです。

――そして、6歳で充実期に入った印象ですが、実際はいかがでしたか?

吉原:5歳の途中くらいまでは体質が弱くて、強い負荷を掛けると飼い葉食いが細くなってしまうこともあり、なかなか思い通りに追い切りをかけることができませんでした。でも徐々に強くなっていって、6歳の頃は調教で負荷が掛けられるようになりました。これまでいろいろな馬と出会って、オープン馬の脆さも経験させてもらっていたので、体質が弱いうちは大事に使って欲しいとお願いして、僕の意見を全部聞いていただきました。河崎五市オーナーをはじめ、加藤和義調教師、長島進一厩務員、関係者の方々にとても感謝しています。

――2023年園田の兵庫サマークイーン賞は満を持しての初遠征でした。

吉原:追い切りもしっかり行けるようになり、いよいよ遠征へということになりました。全国でもやれるんだぞというプライドがありましたが、初めての遠征でプレッシャーも強かったですね。その中で全国の強豪を抑えて勝ったのは嬉しかったです。

――早めに先頭に立っての圧勝劇。あのレースは痺れました。

吉原:初めての遠征で初めてのナイターでしたが、本当に強い競馬をしてくれました。ここから第二ステージというか、さらにパワーアップして充実期を迎えてくれましたね。

1番人気に応えての勝利となった2023年兵庫サマークイーン賞

■「勝ったレースより負けたレースの方が印象に残っています」

――吉原騎手にとって、ハクサンアマゾネスはどんな存在ですか?

吉原:僕もいい年になりましたし、若い頃にいろいろ経験させていただいたことをすべてこの馬に注ぎ込むことができたと思っています。僕の経験や思いのすべてを込めた馬ですね。調教からずっと関わっていけることってなかなかないですし、金沢の歴史に名を残せたことが嬉しかったです。重賞勝利数で日本一の記録を作るまでになってくれて、感謝しかないです。アマゾネスを通してたくさんのことを学びましたし、いろいろな失敗もありましたが、そこから自信にも繋がりました。

――特に印象深いのはどのレースですか?

吉原:たくさんありますけど、デビューの時からずっと人気をしていて、勝つのが当たり前という馬だったので、僕の中では勝ったレースよりも負けたレースの方が印象に残っています。勝つとホッとしましたが、負けるととても悔しさが残ったので。前半の方で挙げるとしたら、最初のアマゾネス対決ですね。

――2021年の徽軫賞ですね。1番人気ハクサンアマゾネスVS.2番人気ネオアマゾネスの対決は、3馬身差でネオアマゾネスに軍配が上がりました。

吉原:ハクサンアマゾネスの適距離としては、マイルから2000メートルは欲しいところですが、牝馬重賞なので少し忙しくても1500メートルというのは選択肢に入っていて。この時は相手がいいスピードで逃げて、捉え切れなかったです。あと後半の方で言うと、2度の名古屋遠征ですね。

――1度目は2023年の秋桜賞で10着、2度目は24年の秋桜賞で2着でした。

吉原:名古屋は金沢や園田よりもタフで力の要る馬場ですし、内側を開けて走るので、道中で内々になってしまうとラチを頼って走れないため揉まれる感じになってしまう。1度目の時には夏負けが尾を引いてギリギリ間に合った感じの状態というところもありましたが、僕の乗り方も反省点がありました。クリノメガミエースにちょっと煽られ気味になって、どうしても位置を取りたいという焦りの気持ちが出てしまって……。馬の力を信用し切れなかった僕の焦りで前に行って、最後バタバタになってしまいました。人気をしているわけですから、他の馬も僕を目指して来るので厳しいレースになるのは当然なのですが、そういった場合にアマゾネスのやる気を削がずに乗るのがすごく難しかったです。でも2度目は前年の経験を踏まえ、持っている力はしっかり出せた2着でした。2度とも負けたわけですが、とても勉強になりました。

2着となった2024年秋桜賞

――お話を聞いていると、アマゾネスと呼んでいるのですか?

吉原:加藤先生と僕はゾネスって呼んでいました。ものすごく可愛い馬なのに、呼び方はあんまり可愛くない感じですかね(笑)。そういえば堀場(裕充元騎手・現調教師)さんだけはアマちゃんて言っていました。

――ゾネスさんに、今後はどんなことを望みますか?

吉原:まずは生まれ故郷でゆっくりして欲しいです。加藤先生と会いに行こうと話しているので、今はそれが楽しみですね。お母さんになると聞いているので、いつか子供に乗れたら嬉しいです。記録もそうですけど、これだけ長く活躍してくれたゾネスに心から感謝しています。いろいろなことがあったので、思い出すと泣けてきますが……、生まれてきてくれてありがとうと言いたいですし、この馬と出会わせてくれた関係者の方々にも本当に感謝しています。

――では、長年応援してくれたファンの皆さまにメッセージをお願いいたします。

吉原:いつも応援してくれたファンの方の存在も大きいです。長い間、本当にありがとうございました。ゾネスはとても可愛くて一生懸命頑張る子なので、いつかウマ娘になってくれたら嬉しいな……なんて願望もあります。この経験を活かし、これから先のレースに繋げていけるようまた頑張ります!

引退レースとなった中日杯

◆加藤和義調教師編はこちらをご覧ください。

取材赤見千尋

写真いちかんぽ