馬事振興

- 地方競馬の馬事振興から、どうして伝統行事につながるんでしょう?

- もともと日本では、馬は神聖な動物とされ、神事や祭礼に用いられてきました。流鏑馬や駈馬などの伝統行事もその一環です。

- 地方競馬は、そうした馬文化を現代に受け継ぐ場としての役割も担っているんですよ。

- なるほど。単なる競技ではなく、文化の継承や地域活性化にもつながっているんですね。

- その通りです。馬と人との関わりを大切にする風土が、伝統行事の存続にも貢献しているのです。
地方競馬場がある
12都道県を中心に
家畜が関わる伝統行事に
従事する方々へ
インタビューを実施いたします。
NAR × Umaletter Collaboration Project
第1回 岩作のオマント 編

愛知県長久手市岩作(やざこ)地区。長久手の戦いが行なわれた歴史ある地、最近では近くにジブリパークができるなど歴史と新しさを併せ持つこの場所で開催される「岩作のオマント(警固祭り)」について、岩作オマント保存会の浅井清志会長と山下忠弘副会長にお話をうかがいました。
400年前から続く、2つの無形文化財を1日でみられる贅沢。
「馬なしでは成り立たないお祭りですから」という浅井会長のお話どおり、「オマント」は「馬の塔」がなまったことが呼び名の由来だそうです。馬の塔とは、馬の背中に標具(ダシ)と呼ばれる札や貨幣などを立てて豪華絢爛な刺繍を施した馬具で着飾った馬を社寺へ奉納するものです。その馬の塔の周りを火縄銃と棒の手で守るので警固祭りともいわれます。
「1603年(慶長8年)に猿投神社に献馬奉納したのが最古の記録として残っています。」と浅井会長。1603年といえば徳川幕府が開かれた年、そこから400年以上の時を経て今へと続く伝統を感じとれるのが、その姿。200人以上の人々が笠をかぶり装束を纏い、火縄銃を持ち練り歩く様子は慶長の時代から抜け出したようで、「タイムスリップしたように見えるでしょ」と山下副会長も笑顔で話してくれました。
愛知県無形民俗文化財の指定を受けた「岩作のオマント」、「棒の手」2つを同じ日に見られるちょっと贅沢なのがこの「岩作のオマント」です。

岩作オマント保存会の浅井清志会長と山下忠弘副会長

標具(ダシ)
火縄銃、掛け声、馬の追切、音の迫力を生で感じて欲しい。
祭り当日に圧倒されたのはその「音」でした。町中にこだまするエイサホイサの勇ましい掛け声、秋の空に響き渡る火縄銃の轟音、石作神社での立て込みでの人馬が疾走する音、棒の手がぶつかりあう激しい音などひとつひとつの音に驚きました。
その中でも一番の見どころはやはり火縄銃。「岩作の火縄銃は肩にかかえて立ったまま撃ちます。200人からの隊列の中で東西合わせて120丁の火縄銃の迫力を感じて欲しい。」と浅井会長がおっしゃる通り、合図にあわせて火縄銃が次々と火を噴く瞬間、観客はその迫力に息をのんでいました。そして発砲された瞬間の体が揺さぶられるような轟音と巻き上がる白煙に思わず拍手喝采でした。
写真や言葉だけでは伝わらないこの音の迫力は、是非実際に現場を訪れて生で感じて欲しいと思いました。

火縄銃を撃つ様子
未来へつないでいくための課題と大切に想う気持ち。
「馬は市内に唯一残る畜産農家から借り受けています。ただ畜産農家も祭礼のためだけに馬を確保するのが負担になってきています。20年30年先のことを考えると馬を連れて奉納できるか不安はあります。」と馬に関する課題を口にされた浅井会長。同じように人の方にも課題はあるようで「担い手も高齢化しています。40年以上前は45歳を参加の上限としていましたが、今では年齢制限を撤廃しました。それでも40代50代がメインになっているので若い世代に参加してもらえるようにしていきたいです。」とのこと。
どの祭礼でもある課題だとは思いますが、馬事振興の活動によってこの課題を解決するお手伝いをしていきたいと感じました。
最後に「好きでないとできないですね(笑)」と声を揃えておっしゃる浅井会長と山下副会長。二人の笑顔から大変さとともに岩作のオマントを愛する気持ちと継承していきたいという強い想いが伝わってきました。

浅井清志会長

山下忠弘副会長
第2回 出雲伊波比神社の流鏑馬 編

埼玉県の南西部、外秩父山地と関東平野の接点に位置する入間郡毛呂山町。江戸時代から続くゆずの産地として知られ、町東部には文化庁の歴史の道百選に選定される鎌倉街道の主要道、上道が南北に走るなど歴史の深いこの町。流鏑馬は臥龍山の頂に立つ出雲伊波比(いずもいわい)神社で毎年11月3日の秋流鏑馬と3月の第2日曜日の春流鏑馬の2回行われます。出雲伊波比神社やぶさめ保存会の小山晃弘会長にお話をうかがいました。
源義家の時代から約960年受け継がれる流鏑馬の誇り。
「源義家が奥州征伐の戦勝祈願で参拝し、凱旋の時に戦勝のお礼に流鏑馬を奉納したのがはじまりだと言われています。」と小山会長が由来を教えてくれました。
「戦時中や最近のコロナ禍など中止にせざるを得ないことは何度かありましたが、ほとんど昔のまま変わらず続いてきていることが地域の財産になっています。」と誇らしげに話されるように、流鏑馬が源義家により奉納されたのが1063年(康平6年)ですから、約960年の間ずっと受け継がれてきた伝統ある祭礼です。
馬に乗る「乗り子」、馬の世話や子どもたちを支える「口取り」地区のまとめやく「後見」などの役割によって出雲伊波比神社の流鏑馬は行われています。
小山会長自身も口取り役をやったことはあるそうで「馬が逃げ出したこともありましたよ。すぐに見つかりましたけど。」と懐かしそうな笑顔でした。

小山会長が資料を説明している様子
見どころは、全国でも珍しい小、中学生の子どもが行なう「流鏑馬」。
出雲伊波比神社の流鏑馬の特長は、全国でも珍しく流鏑馬を行うのが小、中学生の子どもであること。各地区から1名ずつ3名が選出され、源氏を表す一の馬、藤原氏を表す二の馬、平氏を表す3の馬、それぞれで乗り子を務めます。
11月3日当日拝見した流鏑馬は、子どもが行なっているとは思えないくらいに馬が疾走するスピードと矢を放つ迫力に驚きました。
「意外と子どもの方が怖がらずに乗りこなすんですよ。大人にはできないことです。」と事前に会長が言っていた言葉を実際に見て納得しました。写真を撮りたいけどスピードが速くてうまく撮れないと声をあげる観客の方も大勢いました。
流鏑馬を行うのは1日だけですが子どもたちは乗り子に選ばれると乗馬の練習を重ねこの日を迎えます。その大変さを知っているからでしょうか矢が的に当たった時の歓声や拍手は神社の中に響き渡りました。
親子二代で乗り子を行ったご家族もいるそうで今回乗り子をやった子どもたちから受け継がれいつか親子三代という日が来るかもしれません。

出陣

願的(がんまとう)
1000年へ向けて、途絶えさせないためにできることをやる。
これからの目標をうかがうと「やっぱり1000年を迎えることですね。」という力強いお応え。とはいえやはり乗り子、口取りなど人手不足や問題はかかえているため、やぶさめ保存会の傘下組織として「やぶさめを考える会」を立ち上げらました。より参加しやすくするために各地区のさまざまな意見を聞き、祭馬区の再編成を考えるなど1000年へ向けた活動をはじめられているそうです。
会長は最後に「自分で楽しまないとおもしろくないですから、大変ですけど楽しむようにしています。」と仰いました。
東毛呂駅から神社への道には馬優先の看板、立ち寄った飲食店には奉納された流鏑馬の的、出雲伊波比神社には流鏑馬限定の御朱印、的宿から神社へ向かう酒屋には流鏑馬のラベルをつけた日本酒など、会長の言葉のとおり町全体が一体となり楽しもうという想いが伝わる素敵なお祭りでした。馬事振興の活動でその想いのお手伝いできていることがうれしく感じました。

楽しむことが大切と笑顔で語る小山会長
ショコ壱番屋の相馬野馬追REPORT

【本記事は、2025年の取材をもとに『 うまレター』2025年7月号に掲載されたものです】
国の重要無形民俗文化財に指定されている『相馬野馬追』。今から1000年以上前の平安時代、平将門公が野馬を敵兵に見立てて武芸の鍛錬をしたことが起源だと言われています。
甲冑で身を固めた約400騎の騎馬武者が一堂に会し、3日間にわたってさまざまな行事が執り行われるこのお祭り。地方競馬では伝統の馬事文化に対する支援を継続的に行っていますが、それ以外にも相馬野馬追は引退競走馬たちが第2の馬生を送るための貴重な場にもなっており、競馬とは切っても切れない関係にある一大イベントなのです。
そんなわけで今回は、『NAR×うまレター』のナビゲーターとして地方競馬の社会貢献活動を皆さまにお伝えする大役を仰せつかった私・ショコ壱番屋が、福島県南相馬市の現場からその模様をお届けしたいと思います。
今年の「相馬野馬追」2日目となった5月25日(日)。前日夜から降り続いていた雨が、朝になるとピタッと止みました。背筋がスッと伸びるような凛とした空気を感じながら、メインイベントの会場となる雲雀ケ原祭場地へ向かいます。最初に目に飛び込んできたのは、騎馬武者の到着を今か今かと待ちわびる多くの観客の姿。そこへ色鮮やかで美しい馬装の馬に乗った騎馬武者たちが列をなして入場してくると、まるで絵巻物の中に自分が紛れ込んだような感覚になり、非日常の世界へ一気に引き込まれていきました。

相馬野馬追に参加する騎馬武者は、『郷』という5つの地域(宇多郷、北郷、中ノ郷、小高郷、標葉郷)に分かれて所属します。そのひとつである標葉郷の郷大将・吉田栄光さん(浪江町長)にお話を伺うことができました。
「小さな頃から馬がいるのが日常で、私たちにとって馬は家族の一員なんです。相馬野馬追は馬に精通した多くの方々の支援があるから開催できるイベントで、それは本当にありがたいことだと感謝しています。東日本大震災やコロナ禍を経験したことにより、〝伝統文化を守ってこその復興〟という意識を強く持ちました」

その吉田郷大将が率いる標葉郷で、つい最近まで地方競馬を沸かせていた引退競走馬と出会いました。2020年の日本テレビ盃(JpnⅡ)を4歳で制したのち、7歳秋からは高知競馬に所属して活躍したロードブレスです。8歳で出走した昨年末の高知県知事賞もユメノホノオの3着と健闘。今年2月のレースを最後に引退し、相馬野馬追で甲冑競馬を走るために福島県へとやってきたのです。ダートグレードホルダーが踏み出す新たなキャリアの第一歩に、否が応でも期待が高まります。

(ロードブレスとツーショット。なお、ロードブレスの一般見学は不可となっておりますので、お問い合わせ等はお控えください)
美しい扇を持った相馬流れ山踊りの演舞が終え、重厚な陣螺の音色が遠くまで響きわたると、いよいよ甲冑競馬のスタート。参加する騎馬武者は額に白鉢巻を締め、甲冑と先祖伝来の旗指物を背負って馬に跨ります。幅90センチ、高さ135センチもある旗指物が馬上でバタバタと音を立てながら猛スピードで目の前を駆け抜けていく大迫力には、最初から最後まで圧倒されっぱなし。ロードブレスは第2レースに出走し、最後は追い上げたものの3着でした。発走ゲートがなかったり、旗指物が風の抵抗を受けるなど競馬とは勝手が随分違うものの、簡単には勝たせてもらえないところに甲冑競馬の奥深さを感じました。

甲冑競馬が終ると、騎馬武者たちが徐々に芝生の中心部へ集まりはじめました。その数は見る見る間に増えていき、気が付くと色とりどりの旗指物で芝生が埋め尽くされています。今度は優雅な絵巻物ではなく、歴史的大作映画のロケ現場にいつの間にかワープしてきたような感覚に陥りました。
再び陣螺の音が響きわたり、パン!と渇いた花火の音を合図に神旗争奪戦がスタート。花火に仕掛けられた御神旗が落ちてくるのを目掛け、数百頭の馬が一斉に走りはじめます。馬を操作する技術、風の流れ、他馬との位置関係、そして運。すべてを味方につけた者だけが獲得できる御神旗は、騎馬武者にとっての最高の名誉なのです。御神旗を手に入れた騎馬武者は本陣山の山頂につながる羊腸の坂を駆け上がり、その栄誉を称えられます。そして観客の祝福を受けながら纏場に戻り、郷大将に報告。まさに大河ドラマの一シーンを見ているようでした。

このタイムスリップしたような感覚は、会場をあとにしてからもしばらく消えませんでした。そして、現地を訪れる前に抱いていた「相馬野馬追は、なぜ1000年以上も続けてこられたのだろうか」という問いかけの答えが少しだけ解りました。
どんな困難も、家族である馬とともに乗り超えてきた人々。そのひとりひとりの想いが世を照らす小さな灯りとなり、相馬野馬追に集結して大きな炎となる。そして観る者はその炎に引き寄せられ、〝人馬が織りなす物語〟の世界観に没頭する。
私もすっかり、その魅力の虜になりました。また来年、ここに戻ってくるような気がします。



地方競馬全国協会では、競馬による売り上げの一部を畜産振興のための事業として活用しています。馬事畜産振興協議会を通じて相馬野馬追のような伝統行事の開催・保存等への支援も行っており、多くの見学者が家畜と接する機会を得ることで畜産に関する理解を深めていただくことを目指しています。

