JBCとは

ダート競馬の祭典

アメリカのブリーダーズカップを模範とし、
「生産者が主導するレース」として創設された、ダート競馬の祭典JBC。
2001年にクラシック・スプリントの2レースで記念すべき第1回が行われ、
11年に牝馬によるレディスクラシック、20年には2歳優駿が加わり、4つのカテゴリーで覇を競います。
今年は2020年の第20回開催以来3年ぶり9回目となる大井が舞台。
JBC2歳優駿は引き続き馬産地・門別にて、2競馬場で連携しての開催となります。

Road to JBC / JBC指定競走

JBCへの道のりは長く、
前哨戦はRoad to JBCとJBC指定競走の2本立て。
Road to JBCは、優勝馬に優先出走権が与えられるトライアルレースで、
JBC指定競走は地方競馬の有力馬を選定するための指標となります。
8月から全国で行われ、ダート競馬の頂(いただき)を目指します。

レース体系

JBCの優先出走権をかけた熱いレースがここにある!

トライアルレース

矢印優勝馬には、中央競馬・地方競馬の区別なく
優先出走権が与えられます。

  • 日本テレビ盃
  • マイルチャンピオンシップ南部杯
  • 東京盃
  • レディスプレリュード

  • JBCクラシック
  • JBCスプリント
  • JBCレディスクラシック
  • JBC2歳優駿
矢印

JBCの意義

JBCロゴ

JBCは、本家アメリカのブリーダーズカップに範を取りながら、将来的にはダートの各カテゴリー(年齢、性別、距離など)のチャンピオン決定戦とすべく、2001年にその第一歩を踏み出しました。

これは、いわば競馬の祭典であり、スポーツとしての競馬を象徴的に表現するイベントと捉えられるものです。

そして、このJBCには、もうひとつの欠かせない視点があります。それは生産者が主導して実施する競走という視点です。これこそが、本家アメリカのブリーダーズカップ、そして日本のJBCが他の競走と一線を画す所以といえます。

競馬と生産の関係

競馬は、その主役である「馬」という存在により、単にスポーツと賭け事というくくりを超え、様々に幅広い関わりを受け入れてきました。馬と人間のパートナーシップという長い歴史背景と、馬という生き物自体が備える人間の心を捉えて離さない魅力は、競馬に特別の趣を与え、例えばそれは、競馬が美術や文学のモチーフでさえある理由のひとつとなっているかもしれません。

同時に、馬が主役であることは、競馬がその背後に生産という産業的な広がりを持っていることを意味します。この生産との密接な結びつき、これが競馬をより多面的なものとしている大きな要因でしょう。

競馬において、競走と生産は理想の競走馬の追求という目的を共有することでその関係を成立させています。競走にとっての生産はそうした馬の供給源であり、生産にとっての競走は、その追及の成果を確認する場であるとともに、さらなる理想へ向けての生産資源を選定する場となっています。そして、この共通の価値観に基づく選定、例えば「チャンピオンの決定」と表現されるでしょうか、これが両者にとって最大の支持者たるお客様に訴えかけ、その共感を得ることができる最大の魅力となっているのです。

競走と生産、そしてお客様の支持の良好な関係、これが競馬の発展を生んでいると言えるでしょう。

本家ブリーダーズカップ創設の背景

北米では1970〜1980年代にかけて、かつてないサラブレッド市場の拡大期を迎えました。生後1年数カ月の幼駒(イヤリング)にセールで 1000万ドル以上の値がついたり、数戦しただけの2歳馬に将来の繁殖馬として数千万ドル以上ものシンジケートが組まれるなど、異常に近いほどの価格の高騰が見られたのです。しかしこれは、現実の競馬を置き去りにしたもので、ある面では生産者だけのマネーゲームですらありました。いざ競馬場の状況はと言えば、入場者数や発売金額の伸び悩みに苦しみ、このブームと反比例するかのように、大衆の支持を失いつつあったのです。

未曾有の生産ブームと競馬人気の低迷、このアンバランスを放置しては、やがてはこのブームの中心にいる生産者もその繁栄を手放すときがくる、そのような危機感が生まれたのも当然のことです。競馬そのものが大衆から見放されれば、いずれ市場は崩壊し、いかなる高価な馬であっても、その必要性も失われてしまうでしょう。競走を実施する競馬場の運営は(大多数の競走の賞金を含めて)、直接、間接に興行収入、つまりお客様の賭けとしての参加によって支えられているからです。

沈滞した競馬を救うために生産者自らが何かをしなければならない。これがブリーダーズカップ創設の原点でした。これは、ある意味では生産界が必要に迫られて行ったマーケット拡大のための利益の再投資でもあります。しかし、そのために取るべき方策が、できるだけ幅広い層に競馬の魅力をアピールし、競馬が大衆的な娯楽として、そして野球やフットボールのようなスポーツとしての支持を得るという思想に基づいたことは、沈滞した競馬を救う大きな力となりました。ブリーダーズカップの提唱者であるジョン・ゲインズは「最高のサラブレッドこそがスポーツとしての競馬が売り込める唯一のものであり、世間にアピールするにはそれしかない(S・クリスト著「ホーストレーダーズ」)」と、この思想を表現しています。

このように、生産者自らの発案、主導によるレース、これこそがブリーダーズカップの原点と言えるものです。そしてそれは、競馬のスポーツイベントという性格の象徴である「チャンピオンデー」と名づけられた1日(現在は2日)をクライマックスとするものでした。

JBCの創設

JBC創設当時の日本が、このようなアメリカの状況と全く同じだったとは必ずしも言い切れません。しかし、生産者としての競馬の現状に対する危機感、自ら立ち上がるべきという決意は、まさに共通するものでした。

その生産者の危機感は、主に地方競馬に向けられていました。多くの地方競馬場の不振、存廃までもが議論されるという当時の状況は、地方競馬を含めた総体での開催規模を基盤として成立している生産界にとってまさに憂うべき事態であり、また賞金の減額などによる馬の価格の低下や売れ残りは、すでに現実に生産者に打撃を与えていたのです。

もちろん、国情や制度上の差異等により完全に一致したあり方は望めませんが、生産者の発案、主導によるレースという原点を同じくしたJBCは、競馬を幅広い層にアピールし、大衆の娯楽として、スポーツとしての支持を集めるという思想も正確に踏襲しています。それは地方競馬の窮状打開によって日本の競馬全体の発展を図る意味合いから、地方競馬を中心に行われているダート競走においてチャンピオンデーを設けることとして計画されました。

そして2001年10月31日、ダートの選手権距離である2000mによるJBCクラシック、優秀馬の生産に不可欠な要素であるスピード能力を問う1200mのJBCスプリントの2競走をもって、記念すべき第1回のJBCが開催されることとなったのです。その後、JBCは昨年まで22回の歴史を重ね、2011年には重要な生産資源である牝馬(JBCレディスクラシック)、2020年には生産界の念願であった2歳(JBC2歳優駿)が新たなカテゴリーとして加わり、これまで10競馬場(JRA京都競馬場=2018年を含む。)で開催されてきました。その間、サウスヴィグラスとコーリンベリー、サブノジュニアの父仔制覇(JBCスプリント)や、多くの種牡馬、繁殖牝馬を輩出して、生産との結びつきを強めています。

JBCの新たな役割

現在、地方競馬はかつての窮状を脱し、最盛期に匹敵する開催成績にまで回復しています。しかし、ここがゴールではもちろんありません。「存廃」に怯えることなく未来を描ける、ようやくそのスタートラインに立ったと言えるでしょう。ここで描く未来こそ、まさに「競走と生産、そしてお客様の支持の良好な関係」です。芝競走で実現しているこの関係を、ダート競走でも築き上げていく。ダート競走が芝競走と肩を並べ、お客様を魅了し、日本の競馬の発展を支えていく。そのダート競走は、地方競馬が主体となって牽引していく。2024年に創設される3歳ダートクラシック3冠は、まさにその理念の具体化です。そして、JBCもまた、「地方競馬の窮状打開」という当初の目的を終え、競走と生産とお客様をつなぐ象徴としての「ダート競馬の祭典」という役割を担っていく、そういう未来を描いています。

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