SPECIAL COLUMN 合田直弘特別コラム

第1編 日本競馬史における屈指の大快挙 ブリーダーズカップディスタフ回顧

ライバルは、
“最も固い本命馬”レトルースカ

 11月5日と6日の両日にわたって、カリフォルニア州のデルマー競馬場で行われた、北米競馬の祭典「ブリーダーズカップ」。2日間で14競走が施行された中、最も固い本命馬の1頭と目されていたのが、牝馬ダート中距離戦線の頂点を決めるG1ブリーダーズカップディスタフ(ダ9F=約1811m)に出走した、レトルースカ(牝5、父スーパーセイヴァー)だった。

破竹の勢いで連戦連勝中のレトルースカが、並み居る強豪を抑え1番人気の支持を集めた。 ©️Katsumi Saito

破竹の勢いで連戦連勝中のレトルースカが、並み居る強豪を抑え1番人気の支持を集めた。

 メキシコ人馬主G・L・モタヴェラスコ氏によるアメリカにおける自家生産馬で、馬主の祖国でデビューして3歳牝馬チャンピオンとなった後、3歳夏に北米に移籍してきたのがレトルースカだ。本格化したのは、北米の競馬にもようやく慣れた今季になってからで、4月にオークローンパークで行われたG1アップルブロッサムハンデキャップ(ダ8.5F)で、前回の全米牝馬女王モノモイガールを2着に退けてG1初制覇。ここを皮切りに快進撃がスタートし、10月にキーンランドで行われたG1スピンスターステークス(ダ9F)まで、四つのG1を含む5連勝を飾り、牝馬ダート路線の新女王と自他とも認める存在となった同馬は、ブリーダーズカップディスタフでもオッズ2.7倍の1番人気に推された。

長い写真判定の末…
ハナ差で勝ち取った頂点の座

 最初の2Fが21秒84、半マイル通過が44秒97という超がつくハイペースとなった中、道中は9番手で脚を溜め、3コーナーから一気に仕掛け、4コーナーの途中で先頭に立ったのが、オッズ50.9倍の9番人気だった日本調教馬マルシュロレーヌ(牝5、父オルフェーヴル)だった。
 オイシン・マーフィーが手綱をとる同馬が一旦は1馬身ほど抜けた後、直線で馬場内目を突いて伸びてきたのが、前回のこのレースの3着馬で、前走G1スピンスターステークスではレトルースカの2着だったダンバーロード(牝5、父クオリティロード、13.3倍の7番人気)だ。3コーナーでは11頭立ての10番手にいた同馬がグイグイと末脚を伸ばし、馬場真ん中で粘るマルシュロレーヌと鼻面を揃えてゴール。

ダンバーロードの追撃をハナ差凌ぎ切り、歴史的快挙を果たしたマルシュロレーヌ。 ©️Katsumi Saito

ダンバーロードの追撃をハナ差凌ぎ切り、歴史的快挙を果たしたマルシュロレーヌ。

 長い写真判定の末、ハナだけ先着していたマルシュロレーヌが勝者と確定し、日本調教馬による海外ダートG1初制覇という、歴史的偉業が達成された。ブリーダーズカップディスタフの勝ち馬に、北米以外を拠点とする馬の名が記されたのも、38年の歴史で初めてのことである。一方、同馬を管理する矢作芳人調教師、生産者のノーザンファームにとっては、ラヴズオンリーユー(牝5、父ディープインパクト)で制したG1ブリーダーズカップフィリー&メアターフ(芝11F)に続く、この日2度目のタイトル奪取となった。
 前走サラトガのG1アラバマステークス(ダ10F)を制し、3度目のG1制覇を果しての参戦だった、3歳世代の代表格マラサート(牝3、父カーリン、4.6倍の2番人気)が、前半8番手から追い込み、上位2頭から1/2馬身差の3着を確保。
 道中2番手で競馬をした1番人気のレトルースカは、ハイペースに巻き込まれてスタミナを消耗し、4コーナー入り口で早くも脚がなくなって10着に敗れている。

2022年2月7日掲載

合田直弘 Goda Naohiro

合田直弘 Goda Naohiro

1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。