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南国土佐の特別な夜 〜第1回福永洋一記念〜

2010年05月14日
 1979年3月4日、阪神競馬場。9年連続でリーディングジョッキーに輝き、天才と呼ばれた男が、競馬場から姿を消した。
 月日は流れて――。
 2010年5月10日、高知競馬場。伝説の天才騎手が、生まれ育った故郷で、31年ぶりにファンの前に姿を現した。
「洋一、お帰りー!」
「洋ちゃん、待ってたぞー!」
 伝説の天才騎手を乗せた車椅子が、熱気を帯びた拍手と声援のアーチをくぐって、スタンド前の表彰台へ向かう。そのかたわらには、夫を支え続けた妻と、父と同じ職業を選んだ息子が寄り添っている。福永家にとっての31年と、洋一ファンにとっての31年が交わった夜。この特別な夜を実現させたのは、ほかでもない。天才の息子だった。

 武豊騎手。石橋守騎手。福永祐一騎手。川田将雅騎手。昨年8月、4人のJRAジョッキーが高知競馬場にやってきた。武豊騎手と、高知の赤岡修次騎手に芽生えた友情が、「夜さ恋ナイター応援イベント」を実現させたのだった。
 イベントのハイライトにあたるトークショーで、祐一はこう言った。
「高知といえば、坂本龍馬と福永洋一だと思います。高知競馬場で、福永洋一記念を創設できれば……」

 1948年に高知で生まれた福永洋一さんは7人兄弟の末っ子で、母を知らずに育った。空襲や災害によって幾度も持ち家を奪われた父親との暮らしは貧しくて、幼い頃から、自分で水揚げしたカニやエビを売り歩いて生活の糧にした。競馬新聞の売り子をしたこともあったという。
 中学2年のときに父親が急逝し、高知競馬の騎手だった松岡利男さんと結婚した姉のもとに身を寄せてからは、競走馬の世話に明け暮れた。JRAの騎手となった長兄の甲(はじめ)さんや、高知競馬の騎手を経て大井競馬に移った次兄の二三雄さんの背中を追いかけるようにして、騎手を志した。そして、潮江(うしおえ)中学校を卒業した洋一少年は、生まれ育った高知を旅立って東京へ向かい、騎手を養成する馬事公苑に入った。高知競馬場が、現在の「長浜」へ移転するよりずっと昔、高知港のすぐそばの「桟橋」に位置していた時代のことだ。

 洋一さんが「長浜」に移転した現在の高知競馬場を訪れたのは、14年ぶりだ。里帰り自体も、競馬場へ足を運ぶのも、1996年に高知の名物レース・新人王走覇戦に出場した祐一騎手を応援しにやってきて以来のことになる。
 表彰式までの時間を、家族と共に過ごしていた洋一さんの控え室を、初老の男性が訪ねた。その男性は、洋一さんが潮江中学3年生のときのクラスメート・山中薫さんだった。「背の低いもん同士で仲良くなった」というふたりは、「洋一・薫」と呼び合う仲で、互いの将来を語り合った親友だった。
「夢を叶えて、たいしたもんだ……」
 山中さんは涙を流して、旧友との再会を喜んだ。洋一さんは山中さんの手のひらを、がっちりと握り締めて離さなかった。

 第1回福永洋一記念を制したのは、フサイチバルドルだった。鞍上を務めた赤岡騎手は、洋一さんと同じ潮江中学校の卒業生である。
「今日は久々にプレッシャーを感じました。洋一さんが同じ中学校の出身であるということを、橋口さん(橋口浩二アナウンサー)に教えられて、『このレースは、なんとしても獲らないと』という想いでいっぱいでした」

 この日の高知競馬場には、ペギー葉山さんのヒット曲「南国土佐を後にして」が流れていた。家族の支えで過酷なリハビリに挑み続け、介助があれば歩けるまでに回復した洋一さんは、事故から5年半後に、栗東トレーニングセンターで馬に跨った。そのときに洋一さんが歌ったのが、「南国土佐を後にして」だった。そんなエピソードを受けて、橋口アナウンサーが、この歌を流すことを提案したのであった。
 祐一騎手は言う。
「父の大好きな歌で、機嫌がいいときによく歌っています」
 また、妻の裕美子さんいわく――。
「現役の頃、『歳を取ったら高知に住みたい』と言っていましたね」

 貧しい暮らしのなかで鍛えられた、不屈の魂。生まれ育った故郷への想い。祐一騎手が、父が高知で過ごした日々を、天才騎手・福永洋一のルーツを、重く受け止め、大切に思っているからこそ、「福永洋一記念」は実現に至ったのだと思う。

「弟1回福永洋一記念」の表彰式の終わりに、祐一騎手は言った。
「父の名前を冠したレースを、父と最も縁の深い高知競馬でできたっていうことが、なにより嬉しいです。父も久々に高知に来ることができて喜んでいますし、さっき、表彰台に向かっているときに、たくさんの方々が、拍手で迎えてくださったんで……」

 祐一騎手の声が震えて、高知競馬場は静寂に包まれた。
「よかったな、と思いました……」
 年配のファンが、泣きながら拍手を送っている。
「父が健康であり続ける限り、このレースがある限り、年に1回、来場したいと思いますので、これからもみなさん、高知競馬ともども、よろしくお願いします!」
 祐一騎手は、力強く再訪を誓った。そして、洋一さんにマイクを向けた。

 洋一さんは、ひときわ大きな声を発した。スタンドから、割れんばかりの拍手が起こった。洋一さんは、はにかんだような笑顔を浮かべて左手を振った。
「また高知に帰って来いよー!」
「洋一、ありがとう!」
 上手く言葉に表すことができないけれど……。みんな、とびっきりの笑顔を浮かべていた。第1回福永洋一記念の表彰式は、みんなで作った表彰式だった。

「父が引退して、30年以上経つんですけど、たくさんの人が父を覚えていてくれて、拍手で迎えてくれたのが、すごく嬉しかったですね。僕自身、父を誇らしく思いました。僕は、豊さんの活躍に憧れて、この世界に入ったつもりでした。でも、子供の頃から、父が活躍していた頃の写真とか、トロフィーとかが、ずっと家に飾ってあって……。今日、再確認したというか、初めて気づきました。『俺の中のヒーローって、親父だったんだな』って。いままでは、親父は親父でしかなかったんですけど……」

 祐一騎手の瞳に、再び涙がにじんだ。

「カッコよかったです、親父……」
取材・文●井上オークス
写真●高知県競馬組合、斉藤 修、井上オークス
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