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桑島孝春騎手(船橋)の引退に寄せて

2010年06月18日
文●吉川彰彦(日刊競馬) 写真●いちかんぽ、NAR

 桑島孝春騎手が引退した。いつかはくること、もちろんそうは思っていたが、いざ現実となると寂しかった。いや、寂しいというより、その発表を聞いたとき、にわかに胸がいっぱいになってしまった。適切な言葉が浮かばない。

 桑島騎手は筆者にとって、格別、特別なジョッキーだった。説明が難しい。それは予想記者としてではなく、一ファンとしての思いだから。今回本稿依頼をいただき、当初はどう書こうか、いくつか案をめぐらせた。しかしどうにもまとまらない。気持ちが千々に乱れてしまう。好きであること、ファンであることとはそういうものか(無償の愛?)。ちょうど10年前に書いた、記者拙文を読んでいただくことにした(山本一生氏主宰・もきち倶楽部掲載)。なぜなら、手前勝手ながら桑島騎手は、その流儀、心持ちにおいて“不変”の人と確信しているからである。

◇                ◇                ◇

 2000年10月。

 今週の土曜日「武蔵野ステークス」に、南関東から「ナショナルスパイ」が挑戦する。楽しみである。ワクワクする。いや、馬の方はごく客観的にあまり期待できないかもしれない。JRA準オープン、トレード後も重賞にはひと息手が届かない7歳馬。実績といえば、この冬川崎記念2着、ファストフレンドに先着だが、当時は展開の利、好騎乗が大きい。だから、ワクワクするのは、桑島孝春騎手、彼が10数年ぶりに東京競馬場で騎乗すること。全国、内外問わず、筆者が最も好きなジョッキー。本来予想者は、ひいきを作ってはいけないようだ。しかし彼に関しては、勝ってほしい、頑張ってほしい、いつも個人的感情が抑えきれない。

 少し古いファンの方なら、やはりロッキータイガーだろう。昭和60年ジャパンカップ2着。怒涛の追い込みで、人馬とも、勝った皇帝ルドルフ以上の拍手を浴びた。その後さまざまめぐり合わせもあり、リーディングジョッキー、阪神ワールドJSなどには縁遠いが、毎年コンスタントに150勝程度の勝ち星をあげ、この7月、現役二人目の通算4000勝を達成した。今年はヒノデラスタで、東京ダービーを勝った。帝王賞はドラールアラビアンで2着だった。つい先日は石崎隆之から乗り替わったイエローパワーで、スーパーチャンピオンシップを快勝した。騎乗技術、気力とも、いささかの衰えもない。

 ただ、桑島騎手について、心底凄いと感服させられるのはそういう勝ち負けとか、記録面のことではむしろない。その人柄と姿勢である。どうほめたらいいか言葉に迷う。常にフェアプレーに徹し、それでいて勇気と決断力で勝ち抜いていくこと。どんなときでも、爽やかな笑顔を絶やさないこと。真面目で謙虚、「実るほど頭を垂れる…」を地でいくこと。その努力と忍耐、普通の人間ではないとしばしば思う。

 気の毒なくらい、自制心が強い。大レースを会心の騎乗で勝つ。しかし、ガッツポーズなどしない。静かに馬をなだめながら馬道を引き上げてくる。「調教師の先生や厩務員さん、みんなが仕上げてくれたんだから…」「勝てなくて悔しい仲間もいるんだから…」。何度かそんな言葉を、本人の口から聞いた。

 ジョッキーとは、因果な仕事だとしばしば思う。ひとつ間違えば…という物理的な危険もさることながら、その人間関係が、なにやら妙だ。他人の馬を預かって、勝負に臨む。勝ち負けの責任を、最終的に背負い込まなくてはならない。それだけならともかく、本人は基本的に自由業であり、個人事業主の立場である。 例えば一つのレースに、乗り馬が2頭いる。選ばなくてはならない。強い馬をストレートに選べればいいが、多くの場合そうでもない。しがらみがあって、義理がある。場合によっては、かけひきまで強いられる。ツバをつけておく、お愛想を使っておく…。一級アスリートでありながら、自分の力だけではどうにもならない。だから彼らの成績には、「営業」がうまいか否か、そんな要素がかなりの部分含まれる。

 桑島騎手の場合、それが実にシンプル、素朴な形で実行される。騎乗馬の選択は、まず自厩舎(船橋・高松弘之厩舎)が絶対優先で、あとはおおむね騎乗依頼の先着順。力関係やら勝算やらは関係ない。予想している我々はしばしば首をひねらされた。「どうして(勝算のない)こっちに乗るの…」。欲がない、プロとしての矜持がない、そんな声もときおり出た。なるほどそうだ。リーディングを獲る、大レースを射止めるという観点からは、理解しがたい処世術。しかし、本人は納得している。「勝てない馬でもね。自分が乗って工夫して、少しずつ着順を上げていく。これがけっこう面白い」。勝ち負け絶対の世界に身を置きながら、周囲が拍子抜けするほど淡々としている。普通の人間ではない。

 地方のジョッキー、それもいわゆる売れっ子は、実に過酷な日常を過ごしている。ついでにちょっと書いておこう。例えば大井ナイターの一日、桑島騎手のタイムテーブルは、たぶんこんな風になっている。

午前2時半   起床
3時半   船橋競馬場到着
4時   調教開始…約20頭
8時半   調教終了…朝食
12時   大井競馬場へ出発…バス移動
午後2時   第1レース装鞍
3時半   発走
8時半   最終レース終了
9時   大井競馬場出発
10時半   帰宅…軽食後、就寝

 これがほぼ365日続く。仮に翌日騎乗予定が入っていれば、その日競馬がなくても、自宅で軟禁状態(在宅確認という電話がかかってくる)。レースもなく、調教もない、いわゆる「全休日」は、月に2度あればいい方だ。これは桑島騎手ではないが、あるジョッキーは、苦笑まじりにこうもらした。「僕ら、友達少ないんですよ。だってつきあう時間がないんだもの…」。家族サービスができないのも、彼ら共通の悩みらしい。

 ただし、競馬場でみる桑島騎手は、どこにそんな苦労があるのだろうというくらい颯爽としている。例えばパドック。騎乗合図がかかって一礼。何とも軽やかな足どりで、馬の元へ走りよっていく。厩務員さんに必ず一声かける。「お願いします…」。これだけ実績があるベテランが、感謝の念を忘れない。ふわっと音もなくまたがり、一瞬のうちに馬と一心同体になってしまう。少しいれ込み加減の馬は、首さしをやさしく撫ぜる。まっすぐ前をみて、背筋がピンと伸びている。45歳、とてもみえない、少年のような凛々しい眼だ。勝負服が似合って、帽子が似合う。これぞジョッキーと惚れ惚れする。

 勝った後の記念写真。後検量が終わって関係者を待たせたことがない。ため息もつかず、余韻も楽しまず、いつも駆け足。まあこのへんは、あの佐々木竹見騎手もそうである。調教師、オーナーと握手する。笑顔はずっと絶やさない。しかし姿勢はけっして崩れていない。

 「聖人君子」という評がある。ジョッキーとして、競馬人として、あまりに完璧でスキがないこと。何年か前、千葉・幕張の自宅にお邪魔して取材したとき、そんな言葉をぶつけてみた。「いやぁ、とんでもない」。苦笑混じりにこう答えた。「お酒もね、毎晩少し飲むんですよ…」。聞いてみると、缶ビールの“一番小さいやつ”を毎夜一缶飲むという。実際、特に好きではないらしい。「だけどね。それくらいしないと、あんまり自分が可哀想だから…」。いじらしい。無為大酒飲みの当方など、赤面するような話でもあった。「勝ったときは、2つ飲むこともあるのよね…」。傍らで聞いていた、とも子夫人が、やさしく微笑しながらフォローしたのを覚えている。

◇                ◇                ◇

 2010年6月。

 船橋、川崎、大井、浦和、そして再びホーム船橋。すべての引退セレモニーが終わったある日、自宅に電話をかけてみた。あいにく本人は不在で(勝浦へ一泊旅行とのこと)、しかし代わりに、とも子夫人からお話をうかがい、ああやっぱり…と、しみじみした気分になった。「(引退すると)決めてから、前よりもっとイキイキしてます。肩の荷が下りた、ホッとしたんでしょうね。缶ビールですか? 今は息子(競艇・桑島和宏選手)が来たときなんか3本くらい飲むかしら。ずっとにこにこして…」 「それと、前からお料理が好きなんです。時間ができたでしょう。昨日も、アサリの炊き込みご飯、天ぷらをサーっと作ってくれました…」。声が弾んでいる。筆者は、またその一瞬、胸がいっぱいになってしまい、挨拶もそこそこに電話を切った。

 爽快一徹、真っすぐな騎手人生。それを39年間貫きながら、同時に数々の金字塔をも築きあげてきた桑島孝春という人。しばらくは、ゆったり穏やかな日々を満喫することになるのだろう。引退表明から1カ月。今後については、まだ文字通りの“未定”と聞いた。


桑島 孝春 −くわじま たかはる−
 (船橋・高松弘之厩舎→石井勝男厩舎)
1955年1月31日生まれ 北海道出身
初出走/1971年10月17日 船橋第7レース(ミスエメラルド、4着)
初勝利/1971年10月19日 船橋第6レース(ヤマアラシ、9戦目)
地方通算成績/40,201戦4,713勝
主な勝ち鞍/帝王賞(ロッキータイガー、チャンピオンスター)、東京ダービー(プレザント、ヒノデラスタ)、全日本3歳優駿 ※現全日本2歳優駿(スーパーヤマト、ヒノデスター、ミルユージ)、全日本アラブ大賞典(ホクトライデン、ローゼンガバナー)など、重賞86勝


1985年11月24日 ジャパンカップ(JRA東京)
ロッキータイガー(帽色:橙)とのコンビでシンボリルドルフ(帽色:桃)の2着に健闘
1993年5月14日 関東オークス(川崎)
ホワイトアリーナを南関東牝馬2冠(桜花賞・関東オークス)に導いた
1997年6月6日 東京プリンセス賞(大井)
会心の逃げ切りでミスジュディにプリンセスの座をもたらした
2000年6月7日 東京ダービー(大井)
ヒノデラスタの末脚を生かす作戦で見事にダービー制覇

<桑島騎手ラストライド>
2010年5月28日 浦和競馬第8競走 ハローオンザヒル号(石井勝男厩舎)に騎乗し2着

<引退式・お別れ会>
2010年6月9日 船橋競馬場

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