その翌年の2018年に福永さんもワグネリアンで初めて日本ダービーを制覇されました。あの時を振り返っていただけますか?
父の代からの夢でしたし、ちょっと途中であきらめかけたときもあって、もう縁がないんじゃないかと自分を納得させようとしたときもあったんですけど、勝つことができて、自分の想像以上に心が震えました。あれを超える感動は人生においてないですね。
ワグネリアンのときは外枠でしたよね。
最初に枠(8枠17番)を見たときは、やっぱり縁がないのかなと正直思いましたね。
その外枠から積極的に先行しました。
この枠からどうやって勝つか、たくさんシミュレーションをしました。ある程度ポジションを取って先行集団の後ぐらいにつけて、さらに馬の後ろにつけないと脚がたまらない馬だったので、それができなければ負けるし、それができたら勝つ可能性が出てくる。そういう中でチャレンジをして成功しました。
日本ダービーを勝ったあとは何か変わりましたか?
あの経験は大きかったですね。その後のレースに対する取り組み方にしてもずいぶん変わりました。日本ダービーを勝ったということは自分の精神的な部分では非常に大きな出来事でしたけど、それ以上に技術的に大きな成長をもたらしてくれたのがあの日本ダービーでしたね。
森さんはワグネリアンの日本ダービーはご覧になられていましたか?
もちろん、テレビで見ていました。ちょっと枠的に難しいなと思っていたのですが、先ほども言いましたがよく考えられて乗っているなと。勝つ人が勝つべくして勝ったなという印象でした。
そのあと福永さんは二度も日本ダービーを勝たれました。やっぱりワグネリアンの経験は大きかったですか?
もちろん、非常に大きいです。日本ダービーに限らず、その後の騎手人生はワグネリアンを境に全然違いますね。
今までご自身が騎乗された中で、この馬はやっぱり強かったなという印象的な馬はいますか?
たくさん良い馬に乗せてもらってきたので、一頭だけっていうのは挙げづらいのですが、やっぱりコントレイルですかね。
父であるディープインパクトと親子では史上初、史上三頭目の無敗の三冠馬となりました。
最初のころはマイラーになりそうだなと思っていた馬が3,000mの菊花賞を勝つまでに成長してくれましたし、その過程もずっと関わらせてもらったのが自分にとって非常に大きな経験でした。
ラストランのジャパンカップ(2021年)では涙も流されていました。ずっと順調に来たわけではなかったというお話しもありましたが。
3歳で三冠を獲ったあとにジャパンカップ (2020年)にチャレンジしたんですけど、やっぱり(前走の菊花賞)3,000mを走れる馬じゃないので脚元へのダメージが大きかったみたいです。その後は精神的な部分もあってゲートも悪くなりました。そういう影響もあってか大阪杯も負けてしまって、秋への不安がある中で引退レースがジャパンカップに決まりました。
その引退レースのジャパンカップ(2021年)は完勝でした。
いや〜、本当に偉い馬だなと思いましたね。勝ててホッとしたとかではなくて「すごい馬だなぁ」って、馬のがんばりに感動しました。