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”短期集中連載” 【地方競馬所属騎手の韓国遠征記録】
「第3回 内田利雄騎手が歴史的な大活躍」

2013年05月31日
取材・文・写真●牛山基康

 2007年に期間限定免許による外国人騎手の受け入れを正式に開始した韓国。隣国という地理的な好条件に加えて、行われているのがダート競馬ということもあり、いまや地方競馬所属騎手の海外遠征先としてすっかり定着している。地方競馬所属騎手の韓国での活躍ぶりをお伝えするこの連載。第3回は、7ヵ月の韓国遠征で大旋風を巻き起こした内田利雄騎手の活躍を中心に2008年を振り返る。

制度が異なる2つの競馬場
 全競走馬を韓国馬事会が所有する単一馬主制に終止符を打ち、韓国に馬主が誕生したのが1993年8月のこと。苦しい時代を乗り越え、これを機に改革が進められてきたが、昔から続く厩舎の制度や習慣までを変えるのは容易ではなく、2005年9月に開場したプサンキョンナム競馬場は、新たな厩舎の制度を導入するために調教師、騎手、厩務員から馬主に至るまでを新規に募集した。外国人騎手も競馬場ごとの募集となり、どちらかの競馬場に所属しなければならない状態が続いている。

倉兼騎手は韓国内でも先駆者に
何もかもが初めてだった
2008年のKRAカップ・マイル。
ソウルからの遠征馬に調教から騎乗した倉兼騎手は
「輸送で終わっていました」
 だが、どちらも同じ韓国馬事会が主催するサラブレッドの競馬場であり、将来的には制度を統一して一元化される計画になっている。その第一歩として、2008年は4鞍ある韓国産3歳馬によるグレード競走を両競馬場の所属馬で争うことになった。まずは4月6日にプサンキョンナム競馬場で行われたKRAカップ・マイルにソウル競馬場の所属馬5頭が参戦。競走馬だけでなく騎手の遠征も促そうと所属場の騎手の騎乗が原則とされると、遠征制度の不備を指摘するなどして韓国の騎手のほとんどが遠征を拒んだが、フリーな立場にある外国人騎手はそろって参戦した。2007年からソウル競馬場で騎乗している倉兼育康騎手は、ここでも先駆者ぶりを発揮。初めてソウル競馬場からプサンキョンナム競馬場に遠征した騎手のひとりとなった。
 その4月に56戦8勝を挙げ、ソウル競馬場所属での自身の月間最高勝率を記録した倉兼騎手は、8月にも8勝を挙げるなど、しばらくソウル競馬場のリーディング4位の座をキープ。ほぼ不動だった当時のトップ3には届かなかったが、若手の成長株を抑え続けた。最終的には583戦44勝でリーディング5位だったが、この健闘が、さらなる免許期間の延長と翌年のプサンキョンナム競馬場での騎乗につながった。
高知ではありえない寒さだった真冬のソウルには少し苦戦した倉兼騎手だが、年間を通して騎乗した2008年は583戦44勝


制限も変えたミスターピンクの活躍
 倉兼騎手がソウルからの遠征で騎乗した2ヵ月後、プサンキョンナム競馬場に同競馬場の所属騎手としては初めてとなる日本人騎手がやってきた。5月24日にマカオでの騎乗を終えた内田利雄騎手だ。短い帰国期間を経て6月8日から騎乗。各地を渡り歩いている内田騎手ですら経験したことがなかったという特異な流れに最初は戸惑ったが、それに慣れると地元の騎手とのキャリアの差は歴然。6月は29戦3勝に終わったが、7月は31戦9勝、8月は61戦16勝、9月は29戦10勝と爆発的に勝ち星を増やした。
 もちろん、それだけの騎乗馬が集まったからこそだが、プサンキョンナム競馬場の場合、キャリアが浅いのは騎手だけではない。内田騎手の経験に頼る調教師も少なくなかった。その騎乗数の多さもあって、当日の全競走に騎乗した9月19日には9連続連対という韓国記録も樹立。当時は四半期ごとに騎手、調教師のMVPが選出されていたが、当然のように7~9月期のMVPに選ばれた。また、この活躍により、内田騎手がプサンに行くきっかけになったソウル競馬場の外国人騎手の年齢制限は、上限が撤廃されることになった。
韓国での初騎乗から1ヵ月ほどで軌道に乗った内田騎手は、驚異的なペースで勝ち星を重ねると
7ヵ月の騎乗で311戦69勝(写真は7月13日2R)
 当初の予定を延長して12月いっぱいまで韓国での騎乗を続けることになった内田騎手は、10月12日にソウル競馬場で行われた農林水産食品部長官杯に参戦。プサンキョンナム競馬場の所属騎手として初めてソウルに遠征すると、画面の向こうで圧倒的な活躍を続けてきたピンクの勝負服を目の当たりにしたソウルのファンから熱い声援を受けた。コリアンオークスの2着が最高で惜しくもグレード競走のタイトルには縁がなかったが、その後も勢いは止まることなく、なんと7ヵ月の騎乗でプサンキョンナム競馬場のリーディングを獲得、311戦69勝で同競馬場の年間最多勝記録も更新し、現地で『ピンクシンドローム』と報道されるほどの大旋風を巻き起こして最初の韓国遠征を終えたのだった。
内田騎手の韓国でのグレード競走初騎乗となった2008年のコリアンオークス。5番人気での2着だが
「サプライズは起きませんでした」と苦笑

プサン所属騎手として初めてソウルに遠征した内田騎手は、2008年の農林水産食品部長官杯で
倉兼騎手とともにプサンからの遠征馬に騎乗

もう少し乗りたかった渡瀬騎手
ようやく慣れたころに帰国することになった渡瀬騎手だが、たてがみを刈る習慣の
違いなどに海外を感じた
 内田騎手の遠征から遅れること1ヵ月、渡瀬和幸騎手が7月4日からプサンキョンナム競馬場での騎乗を開始した。ソウルでの募集に興味を持ってから1年、場所を変えてようやく遠征を実現させたが、当初の免許期間の4ヵ月で騎乗を終えることになった。「もうちょっといたかったですね。ナイターにも乗りたかったんですが(原油価格高騰の影響で)中止になってしまいましたし。また行きたいですね」。日本での騎手免許の更新や韓国の休催日で乗れない週も多かった渡瀬騎手。ようやく慣れてきたところだったが、残念ながら延長が認められなかった。短い騎乗期間だったが、その分、日本との違いが印象に残ったという。「まず、調整ルームがないですからね。あとは、たてがみがないこととか…」。倉兼騎手も遠征当初に気にしていたが、韓国では競馬が近づくとたてがみを刈ってしまう。その理由は定かではないが、古くからの習慣として残っているという。この習慣を不自然に思っていたある新人調教師は、たてがみを刈らずに出走させたこともあったそうだが、短いたてがみが当たり前の韓国では、若い騎手などはたてがみが長いと手綱が絡んでかえって乗りづらいという。意外な習慣にも海外を感じた渡瀬騎手は、10月12日までに77戦10勝という成績で遠征を終えた。

調教、乗る馬いませんか?
 渡瀬騎手の帰国直前、10月10日からプサンキョンナム競馬場で騎乗を始めた西村栄喜騎手は、なかなか乗り馬が集まらずに苦労したという。厩舎に行っては「チョギョ・タルマリッソヨ?(調教、乗る馬いませんか?)」を繰り返し、なんとか騎乗馬を確保しようとした。実質2ヵ月の騎乗で45戦4勝。2008年は満足できる数字を残せなかったが、しかし、足しげく通った厩舎で、ある牝馬との運命的な出会いが待っていた。(つづく)



地方競馬所属騎手の韓国遠征成績(年度別)
騎手名(所属) 成績 騎乗期間 所属場
大賞(グレード・リステッド)成績
2008年
倉兼育康(高知) 583戦44勝 1月5日~12月28日 ソウル
グランプリ(G1)7着、農林水産食品部長官杯(G2)7着、
KRAカップ・クラシック(G3)4着、KRAカップ・マイル(G3)13着、トゥクソム杯(G3)14着、
文化日報杯(L)4着、 日刊スポーツ杯(L)5着、東亜日報杯(L)7着、
YTN杯(L)8着、農協中央会長杯(L)9着、 スポーツソウル杯(L)10着
内田利雄 311戦69勝 6月8日~12月28日 プサン
コリアンオークス(G2)2着、農林水産食品部長官杯(G2)4着、
慶尚南道知事杯(G3)3着、釜山広域市長杯(G3)7着
渡瀬和幸(兵庫) 77戦10勝 7月4日~10月12日 プサン
慶尚南道知事杯(G3)5着
西村栄喜(荒尾) 45戦4勝 10月10日~12月12日 プサン
釜山広域市長杯(G3)8着