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連載第5回 1992年 園田金盃

怪物のラストランに競馬オヤジも思わず涙
インターロッキー


 
劇的な勝利でラストランを飾ったインターロッキー
※ 写真はレース映像からのキャプチャー画像です

(映像ファイルサイズ:18MB)

 園田競馬のその年の総決算レース、園田金盃。しかし92年の第35回は例年とはいささか趣きが変わっていた。その日が65戦目の引退レースとなるインターロッキー。その走りが一番の注目だった。
 インターロッキーと言えば、アラブでありながら中央のテレビ愛知オープン(ワンダーレッスルの11着、7番人気に推された)にまで挑戦した園田の怪物。全日本アラブ大賞典は6着に敗れ、全国的な舞台では力を発揮できなかったが、園田、姫路では大スターホースであった。それまで64戦30勝。89、91年の兵庫大賞典を制し、89年の園田金盃など重賞7勝を挙げていた。
 第35回園田金盃。近走は常に63、64キロを背負って2・1・1・2・1着とさらに強さを増した感じで、今回は斤量が55キロと裸同然。その年5月の兵庫大賞典では同じく55キロを背負い、タカサゴスピードに5馬身の差を付ける圧勝だっただけに、あっさり引退レースを飾るだろう、と言うのが大方の見解であった。
 それだけにインターロッキーの最後の雄姿を目にとどめようと大勢の園田競馬ファン、インターロッキーファンが集まっていた。パドックもファンで一杯。僚馬トーエイテイセンとの枠連1-6は最後1.7倍だった。
 逃げ馬不在のメンバーだけに、インターロッキーが逃げてしまうのだろうと思われたが、ゲートが開くと意外にも、同厩(武田廣臣厩舎)の小牧太トーエイテイセンがハナを切った。レースは2300m。淡々と流れスローペースに。2番手をテンリストーンとタカウイングが並んで進み、その後ろにインターロッキーと平松徳彦。
 2周目の向正面でテンリストーンが逃げるトーエイテイセンに並びかけたところで、一気にペースが上がった。しかし、インターロッキーは反応鈍く、前2頭からやや離されかけた。平松騎手が必死に追うも差は詰まらず、実況の吉田勝彦アナウンサーも、

「どうした? 伸びない」

 と。それを聞いて「もう駄目か…」と、場内には悲鳴すら上がった。
 4コーナー手前。インターロッキーが平松騎手のステッキにようやく反応した。吉田アナも安心したかのように、

「3番手のインターロッキーにようやくエンジンがかかりました!」

 直線を向いて2番手まで上がったが、先頭を走るトーエイテイセンとはまだ2、3馬身の差はあった。
 ここからは、当日の“吉田節”を再現したい。

「トーエイテイセンが先頭、インターロッキーがグーンと伸びて来る。最後のレース65戦目! トーエイテイセンが粘る、インターロッキーが並んでいく、交わしていく。ここがゴ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ル!!」

吉田アナ絶叫!!

「見事に最後のレース31勝目を飾りました! インターロッキーです!!」

 ゴール後、流して行った平松騎手が愛馬の首筋を撫でていた姿が、印象的であった。
 インターロッキーの、この最後の最後でクビだけ出たその勝負根性に、普段は涙を見せることなどない園田の競馬オヤジ達も思わず涙したという、ある意味伝説のレースであった。通算61戦31勝、内重賞8勝の成績を残し、喧騒の園田競馬を去った。
 引退後93年から種牡馬となったインターロッキー。95年のシーズン後に、惜しくも病死してしまった。最後の年の産駒から99年門松賞、荒尾記念などを制したマルゼンロッキーを残している。

文●栗原正光
音声●ダート・プロダクション
映像●プラスミック(現・山口シネマ)
(協力:兵庫県競馬組合)

第35回 園田金盃 平成4年(1992年)12月16日
  アラ系特別競走 1着賞金1500万円 園田2,300m 晴・稍重 
着順
枠番
馬番
馬名
所属
性齢
重量
騎手
タイム・着差
人気
1 6 6 インターロッキー 兵庫 牡8 55 平松 徳彦 2.39.0 1
2 1 1 トーエイテイセン 兵庫 牡5 56 小牧 太 クビ 2
3 8 8 ボールドホーマー 兵庫 牡5 56 森 繁 2 1/2 3
4 3 3 テンリストーン 兵庫 牡4 54 米田 幸治 1/2 4
5 2 2 ジョセツオー 兵庫 牡5 56 保利 良次 2 6
6 7 7 タカウイング 兵庫 牡5 56 三野 孝徳 4 7
7 5 5 ミホノビャクエイ 兵庫 牡6 56 山口 益巳 2 5
8 4 4 ビャクエイワン 兵庫 牡5 56 尾原 強 9 8
払戻金 単勝120円 複勝100円・110円・110円 枠連複170円
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